杭州(臨安) ‐ 世界の都市の物語 ‐
「江浙熟すれば天下足る」これは中国宋代にいわれた言葉です。明代には穀倉が湖北湖南に移って「湖広熟すれば天下足る」となったわけですが、長江下流域の土地の豊かさは現在も続いています。
現在のこの地方の中心都市は何といっても上海ですが、これはアヘン戦争以降(1842年)のこと。
それまでは蘇州、南京とともに杭州が中心でした。
杭州の歴史は意外と古く、なんと良渚文化(前3300年から前2200年ごろ)の遺跡があります。銭塘江の河口で昔から人の集まりやすい地形だったのでしょう。
春秋時代には、銭塘と呼ばれ越(都は会稽)の領土でした。当時は会稽のほうが都会(首都があるくらいですから)で、銭塘は田舎町にすぎませんでした。
ここからは私の想像にすぎませんが、杭州はもしかしたら長江文明の中心都市の一つだったのではないかと考えます。が大洪水で一度滅び、生き残った住民は北方に去ったためしばらく打ち捨てられていたのでしょう。
しかし越建国で、元々人の集まりやすい土地であったことから再び都市として復活したのでしょう。これはあくまで私の想像なのでまじレスされても困ります(汗)。
ちなみに越は漢民族の国ではありません。現在のベトナム人と同族とされる百越という民族の建てた国です。百越は越の諸族の総称で現在の江南(長江南部)からベトナムにまたがる広大な土地に住んでいました。漢民族の膨張と共に南に追いやられ、中国内に残って少数民族化しているか大半はベトナムに逃れました。
さらに余談を続けると長江文明の担い手そのものも越人ではなかったかと考えています。天変地異の後ある者は北上し漢民族と同化し、またある者はかっての文明を失い蛮族化したのではないかと思っているのです。稲作の起源、鉄器伝播の道(以前記事にしましたね♪)を考えるとそう判断するのが自然なような気がします。
閑話休題(それはさておき)、本題に戻ります。越滅亡後、楚の領有になった銭塘は秦代には会稽郡の治下になり、南北朝時代江南地方に漢民族が多く避難してくると開発が進みます。この頃は銭塘郡と呼ばれました。
杭州という名は、隋代に初めて散見されます。隋は大陸を縦断する大運河を建設しその南端が杭州だったことから次第に発展していきます。
杭州の発展を決定づけたのはなんといっても南宋の建国でしょう。女真族の金に滅ぼされ江南に逃れてきた宋は、以後南宋と呼ばれますがその首都として選ばれたのが杭州でした。
中国史をかじっている人ならなぜ南京にしないのか?と疑問に思われるでしょう。南京は三国時代の呉(当時は建業と呼んだ)以降南朝歴代王朝の首都となったところでのちの明も初期の都に定めています。
長江とその支流に囲まれた難攻不落の地で、金城湯池とまで謳われた南京はまさに首都にふさわしい都市でした。
私は南京を都にできないほど金を恐れていたと見ます。というのは長江沿岸の南京だともし渡河されたとき逃げ場がないからです。一方、杭州だったら渡河されても時間的余裕があるし、海路からさらに南方に逃れることができます。実際南宋の残党は元に追われて広東近くまで逃げてますし…。
南宋としてはあくまで杭州を臨時首都とし行在(あんざい)と呼び本来の首都は中原の開封であるという立場を崩しませんでした。ちなみにマルコ・ポーロの東方見聞録では行在がなまってキンザイKhinzaiと紹介されています。
南宋は杭州を都に定めるまで揚州、建康、杭州、越州(今の紹興)と遷都を繰り返し1138年ようやく高宗によってここに落ち着きました。杭州は臨安府と改称され大規模な拡張工事によって都としての体裁が整えられます。
北半分を失ったとはいえ、まだまだ当時の経済大国だった南宋の首都として臨安は栄えました。最盛期には人口百万を超えたといいますからその繁栄がしのばれます。
杭州を初め蘇州など江南の諸都市は水の都としての側面を持っていますが、ここも西湖を市域に取り込み風光明媚な建物を建設しました。現在でもこれらは市民の憩いの場所になっているそうです。
ちなみに呉越の戦いのヒロイン、絶世の美女だったとされる西施はここ西湖の畔の出身だといわれています。
次の元代明代にも江南地方の中心都市として栄えますが、周辺はそのために穀物生産から次第に茶などの商品作物栽培に移り、そのために穀倉地帯としては湖広地方に中心が移りました。
そしてアヘン戦争以後経済の中心が新興都市上海に移ると、杭州は経済というより文化の中心へと次第にシフトしていきます。
現在の人口は約670万、中国はもとより世界各地から観光客が訪れる風光明媚なところとして有名です。あなたも西湖のほとりに立ってみては?古の西施に思いをはせるのも一興かと思います。
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