諸葛亮と饅頭
三国志ファンならとうにご存知だと思いますが、饅頭を発明したのは諸葛亮だという伝説があります。
万が一諸葛亮(字は孔明)を知らない人がいる(わけないか?苦笑)といけないので簡単に紹介すると
◇諸葛亮(181年~234年)
【中国三国時代の蜀漢(現在の四川省あたり)の政治家、軍人。三顧の礼で劉備に仕えると蜀建国の創業を助け照烈帝(劉備)没後は丞相(総理大臣)として内政外交軍事で国を支えた。
伝説では神がかり的な軍師として描かれる事が多いが、実像は堅実な用兵を行う常識人だったらしい(陳寿)。軍人としてより優れた政治家としての評価が高い。諸葛亮の死後二十年足らずで蜀は滅びた。】
照烈帝が崩御し、劉禅(後主)が即位した後の話です。劉備の遺言で後事を託された諸葛亮は魏や呉と対抗するために交易で国力を高めるべく南蛮遠征に向かいます。
南蛮の首長孟獲との七縱七禽の故事はあまりにも有名です。実はこの策は「泣いて馬謖を斬る」の馬謖(ばしょく)の建策だったともされますが閑話休題(それはさておき)。
あのころが馬謖の全盛期だったなあ(しみじみ)。馬良(白眉)の弟だから遺伝子は優秀だったんですよね~。
いかん三国志ネタだとどんどん脱線してしまう(爆)。
本題に戻ります(汗)。
南蛮遠征が無事に終わり蜀軍は帰途につきます。その途中川が増水して通行できなくなりました。土地の古老によるとこういう時は生贄として人間の首を斬ってお供えするのだとか。
しかし、諸葛亮はそんな事で無益な殺生をする事を嫌います。そこで小麦粉で人間の首に似せた団子をつくりその中に肉を入れてお供えしました。すると不思議な事にあれほど荒れくれていた川はぴたりとおさまり穏やかな流れに変わります。
諸葛亮は、「今後川が荒れても決して人の首は生贄にしないように。小麦粉で団子を作りお供えしなさい」と命じました。これが饅頭(まんとう)の起源だといわれています。
肉まんのはじまりですね。日本へは禅宗の僧侶が伝え肉食を禁じていたために餡に小豆を使ったものが考案されたとか。これが饅頭(まんじゅう)になりました。
諸葛亮は半ば伝説化され雲南地方でも神のごとく崇められていたといわれていますから、あくまで伝説にすぎないとは思います。が、彼の性格を考えるとあり得ない話でもないなと考えています(笑)。
皆さんはどう思われますか?
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