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2012年7月 3日 (火)

町歩(ちょうぶ)と貫高と石高

 歴史書を読んでいると、○○に何貫を与えるだの、○○の領地は何町歩だとかいろんな単位があって混乱してしまいます。
 
 一番人口に膾炙している何石で表記してもらえれば助かるのですが、石高とは太閤検地以降定められたもので、土地の生産性を石で表したものだそうです。それまでは貫高で表記していました。貫とは尺貫法における重さの単位であると同時に1000文を1貫とする通貨単位でもありました。ですから貫高とはその土地で取れる米の収穫量を貨幣換算したものです。
 
 一方、町歩とは土地の広さの単位で長さの単位の町(109.09m)と区別するために町歩(ちょうぶ)と呼ばれます。時代区分で若干変動がありますが太閤検地の時代だと1町歩=3000坪だったそうです。
 
 ですから必ずしも町歩の広さで収穫高は分からないのですが、平均するとだいたい300歩で1石と換算できたそうです。ということは3000歩=1町歩ですから、1町=10石と換算できます。
 
 貫も、銭一貫文で米一石が中世における大体の相場だそうですから1貫=1石で良いと思います。
 
 
 まとめると
 
 1町=10石
 1貫=1石
 1町=10貫=10石
 
 でよろしいんではないかと愚考します(笑)。これでだいぶ整理できましたね♪
 
 
 今手元にある肥後国衆一揆の資料で城久基が三千町歩の領地を秀吉の九州仕置きで八百町歩に削られたとされますから、三万石の領地を八千石に削られた計算になります。って、誰の事か分からないでしょ?(爆)
 
 人名は気にしないでください。わりかし有名人で書いた方が分かりやすいので明智光秀にしますかね。
 
 光秀が初めて織田信長に仕官した時与えられたのが二千貫(だったと思う)でしたから、石高でいうと二千石与えられた計算になります。浪人身分からいきなり二千石ですから破格の優遇だったみたいですね。

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