続菊池一族の興亡・滅亡編 ①政隆の章 前編
覚えている方はほとんどいない(というか興味ない)と思いますが、かなり以前名族菊池一族の興亡
という記事を書きました。そのなかで嫡流家である菊池宗家の滅亡(嫡流・能運【よしゆき】の死とその子孫が日向米良氏として残った)については詳しく書きましたが、肥後守護職菊池家としての滅亡に関してはさらっと触れただけでした。
今回、資料がそろいましたので能運以後の政隆(政朝)、武包(たけかね)、義武(大友義長の次子、養子)の歴史を述べたいと思います。
その前に、菊池宗家と深い関わりのある菊池肥前家について書かなければなりません。菊池肥前家は菊池家十二代武時の六男、武澄(たけずみ、生年不明~1358年)から始まります。兄十三代武重と共に建武の新政に功をあげ肥前守を拝命しました。その後南北朝の戦乱に突入すると一族を説き有能な庶弟豊田十郎武光の菊池家督相続を実現させ南朝方の有力な将として主に肥前・筑後方面で活躍します。その子孫は代々肥前守を称したことから菊池肥前家と呼ばれました。
一方、肥後玉名郡石貫村に大智禅師(だいちぜんじ)を招き紫陽山広福寺を創建したことでも知られています。
武澄の子武安、孫武照も南朝・菊池宗家のために戦い続け劣勢な九州南朝方を支えました。しかし肥前家五代貞雄(武照の孫)の代に北朝方との通謀を疑われ貞雄一族は粛清されました。永享年間(1429年~1441年)の出来事だといわれています。
菊池肥前家は、託摩氏に養子に入った武澄次男武元の家系、肥前に残った武安の次子友安の子孫である姉川氏などが残ります。
菊池肥前家は、広福寺創建でも分かる通り玉名郡玉名荘(現在の玉名市北部から和水町にかけて)と肥前髙来郡(長崎県の諫早市から島原半島全域)に所領も持っていたそうです。さらに養子として託摩氏を継いだため詫摩郡本山城(場所は不明・熊本市東部か?)も受け継ぎます。
菊池肥前家嫡流貞雄の粛清ですが、調べてみると全くの濡れ衣でもなかったようなのです。というのも肥後玉名荘の所領を北朝九州探題今川了俊に安堵されています(澄安時代?)。南北朝時代、全国の武士は家督相続その他の理由で一族が北朝南朝に分かれて争ったそうですが菊池一族も例外ではなかったのでしょう。
しかも菊池家の場合、嫡流を継いだ武光系にとって相続の経緯から肥前家は遠慮しなければいけない家だったらしく、目の上のたんこぶだったのでしょう。
断絶した菊池肥前家は、宗家十九代持朝の子為安が継嗣します。菊池肥前家は南朝色の強い菊池一族の中では例外的に北朝(九州探題渋川氏)の受けが良い一族だったらしく、南北朝合一後も家名を保つ必要があったのだと思います。肥前家系の姉川氏も渋川氏→少弐氏と仕えていますし。
為安は玉名荘を受け継ぎ、彼が没するとその子徳鶴丸が継承しました。徳鶴丸は重安と名乗ります。
宗家では十九代持朝(1409年~1446年)の時代が菊池氏絶頂期だったといわれています。1431年時勢に暗い父兼朝を追放して家督を継ぐと大内氏と結んで少弐氏を攻め足利幕府色を鮮明に打ち出します。幕府の覚えもめでたく肥後守護の他に筑後守護を拝命しました。
菊池一族内の統制も強化し、庶流宇土忠豊の後継に子の為光を送り込むなど勢力拡大に努めました。為安の肥前家継承もこの流れの一環でした。
しかし、1446年持朝が38歳で死去したことにより時勢は混沌としてきました。後を継いだのは嫡男為邦(ためくに、1430年~1488年)。しかしまだ16歳だったため家中の統制に苦労します。
幕府も為邦の継承を不安視し、大友親繁に筑後半国の守護職を与えたことから菊池氏と大友氏は筑後の支配権を巡って争いはじめました。為邦は弟肥前為安を大将として筑後へ送り込みますが筑後高良山の合戦で菊池・筑後国人連合軍は大友軍に敗北、為安も戦死してしまいます。この時三池親在、黒木之実ら筑後国人衆も討死しているそうです。
筑後を大友氏に奪われ為邦は失意のうちに亡くなりました。二十代為邦の時代が菊池氏衰退の始まりだとされます。次の重朝、能運の時代は有力庶家宇土為光との抗争に終始します。
菊池宗家の衰退を見て、重朝の叔父宇土為光が家督相続の野望を抱いたのが原因でした。宇土為光の乱に関しては過去記事で詳しく紹介していますのでここでは略します。
肥前家為安の子重安は一貫して菊池宗家側で戦いました。長くなるので続きは後編で…。
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