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2012年10月 1日 (月)

日本の戦車話続き   LST

 最近日本史書庫、戦史話がつづいてますが(苦笑)、戦前の日本では港湾施設のガントリークレーンの能力の低さで15t(無理して18t)以上の戦車が作れなかったという話を前回書きました。
 
 だったらフェリーやRO-RO船のようにランプを下して戦車を自走させて搭載すればいいのでは?と考察しました。ところがフェリーは近海向け、RO-RO船は戦後に普及したもので戦車開発当時実用的ではなかったという結論が出ました。
 
 あれから考えたんですが、ようするにLST(戦車揚陸艦 Landing ship,tank )が遠洋航海に耐えられれば万時解決じゃないの?とはたと気付きました。ランプで自走搭載可能ですから。
 
 で、調べてみたんですが日本の場合は駄目ですね。そもそもLST自体が1941年にイギリスで考案されたもので戦前は存在しなかったそうなのです。一応日本も1930年代から戦車揚陸艦の必要性を感じ研究を進めていたそうですが、完成したのが1942年では話になりません。
 
 日米の代表的なLSTの性能を比較するためにアメリカのLST-1型、日本の第一〇三号型輸送艦を見てみましょう。
 
 搭載能力はほぼ互角(アメリカがやや上)、速度では日本の方が上回っています。ただし致命的なのは航続距離の違いです。日本は2700海里で駆逐艦より短いんです(特型で5000海里)。せめて5000海里ないと有効的な運用はできません。
 
 日本は完全に上陸作戦専用として開発したのでしょうが、アメリカは上陸作戦の他に戦車輸送艦としての性格も持たせたようですね。1052隻という建造数がそれを物語っています。
 
 日本の貧弱な工業力、戦略思想の欠如といってしまえばおしまいですが、せめてLSTの建造込みで戦車開発を進めて欲しかったと思います。海軍と陸軍で開発兵器の連絡が行ってなかったという可能性は多分にありますね。
 
 いくらなんでも戦車の重量制限15tではまともな戦車などできるはずもありません!最低でも20t以上(できれば30t以上)なければ防御装甲も十分に装着できないし、戦車砲の威力も制限されてしまいます。
 
 
 鉄の棺桶とはまさに日本の戦車を揶揄する言葉でした。それを日本の戦車兵が自嘲気味に言っていたんですから絶望的です。
 
 せめて列強戦車と互角に戦える戦車を開発してあげなければ駄目でしょう。これは日本の兵器開発者いや戦争指導者の怠慢ですよ!(怒)

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