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2013年2月 9日 (土)

第2次中東戦争  英仏植民地帝国の終焉

 以前の記事でイギリスは近代に入って以来ほとんど敗北していないと書きましたが、もちろん勝率100%ではなく敗北も経験しています。その中でもこの戦争は致命的なものの一つかもしれません。
 
 
 一般の方は、第2次中東戦争は英仏イスラエル連合軍の戦術的勝利で米ソの介入により痛み分けになったという印象を持っていらっしゃると思います。しかし戦争の勝敗が戦争目的を達成できたかどうかというものならば、明らかに英仏は敗北でした。しかも植民地帝国として終焉、言いかえるなら帝国主義的植民地支配に完全に終止符がうたれた事は間違いありません。
 
 
 一方同盟国の中ではイスラエルだけが勝利し、戦闘には敗北したものの戦争目的は達成できたエジプトも実質的には勝利でした。
 
 
 それでは第2次中東戦争がどういう経緯で始まり、どのような結果を迎えたか見て行く事にしましょう。
 
 
 
 1952年のエジプト革命以後権力闘争の末エジプト大統領に就任したナセルは、米ソどちらの陣営にも属さない非同盟主義を標榜しスエズ運河地帯からのイギリス軍撤退を要求します。
 
 たとえ一時的には撤退しても、必要な時には軍隊を派遣しいつでも運河を奪回できると最初はこれを甘く見ていたイギリスですが、1956年7月ナセルがスエズ運河国有化宣言を行うと両国の関係は急速に悪化します。
 
 それまで英仏から兵器を買っていたエジプトは、英仏の怒りを買い武器供給を断たれました。困ったナセルは、反共の旗を捨てソ連に急接近しました。中東での橋頭保となり得るエジプトの接近に気を良くしたソ連は、エジプトに対しMiG‐15ジェット戦闘機200機、T-34/85戦車200両、JS‐3スターリン重戦車100両、自走砲100両、火砲数百門など大規模な軍事援助を与えます。
 
 
 これは中東の軍事バランスを壊す恐れがあり、英仏は警戒します。そんな中イスラエル国防相ペレスが英仏両国を訪問しました。
 
 この時、英仏側とイスラエルのどちらから持ちかけたのか不明ですが三国は対エジプトの秘密同盟を結びます。第1次中東戦争でようやく独立を勝ち取ったイスラエルも、自国を敵視するエジプトの強大化は国家の存亡にもかかわる危機でした。
 
 
 イスラエルは、スエズ運河を利用できないのでシナイ半島の付け根にあるアカバ湾最奥のアカバだけが唯一の貿易補給港でした。その安全を脅かすエジプト軍をシナイ半島から排除するのが戦争目的。一方、英仏は生意気なエジプトを懲らしめ再びスエズ運河を奪回するのが目的でした。
 
 
 
 秘密協定に基づき、イスラエルには英仏から続々と軍事援助がもたらされます。なかでも当時イスラエル陸軍の主力戦車M-4シャーマン戦車に搭載できるフランス製の長砲身75㎜砲は喜ばれました。そのほかフランス製AMX-13軽戦車やダッソー・ミステール戦闘機などもこの時援助されたものだと思います。
 
 
 三国の戦争計画はこうでした。まずイスラエルがエジプトに宣戦布告しシナイ半島に侵入。英仏はこれを調停するという名目でスエズ運河地帯に軍隊を派遣、なし崩しに戦争目的を達成しようといういささか虫の良い計画でした。
 
 
 まずこの戦争における各軍の兵力を見てみましょう。
 
◇同盟軍側
 
◆イスラエル軍  総兵力25万、戦闘車両520台、火砲870門、航空機160機、艦艇5隻
 
◆イギリス軍   総兵力3万4千、戦闘車両110台、航空機180機、艦艇18隻
 
◆フランス軍   総兵力2万、戦闘車両40台、火砲70門、航空機60機、艦艇16隻
 
 
◇エジプト軍   総兵力25万、戦闘車両700台、火砲770門、航空機230機、艦艇9隻
 
 
 イスラエルとエジプトだけで互角、これに英仏の遠征軍が加わるんですから勝敗は戦う前から決していました。
 
 
 英仏連合軍がキプロスに集結し終えたのを確認した後、1959年10月26日イスラエルはエジプトに宣戦布告、機甲部隊を中心にシナイ半島に侵入しました。
 
 
 シナイ上空は、フランス製の最新鋭ジェット戦闘機ダッソー・ミステールがエアカバーを行いました。エジプト軍もMiG‐15を投入しこれに対抗します。機体の性能自体はほぼ互角でした。しかし第2次大戦のエースパイロットやそれに教育を受けたイスラエル空軍はパイロットの技量でエジプト空軍を圧倒、制空権を握ります。
 
 ガザ地区の戦闘など一部ではエジプト軍も頑強に抵抗しますが負ければ国家が滅ぶイスラエル軍の方が士気が高く戦闘を有利に進めます。戦車戦でも高性能のフランス製75㎜砲に換装したシャーマン戦車や同じ主砲を搭載するAMX-13軽戦車が、エジプト軍のT-34/85戦車を次々と撃破していきます。重装甲のスターリン戦車もイスラエル軍の正確な射撃の前には敵ではありませんでした。
 
 
 そんな中、英仏両国は1956年10月30日イスラエルエジプト双方に停戦を呼びかけます。従わなければ軍隊を派遣するという恫喝のオマケまでついていました。イスラエルの背後に英仏がいる事は明らかでしたから当然ナセルはこれを拒否します。
 
 すると待ってましたとばかり英仏両軍はスエズ運河地帯に攻撃を開始しました。この時まだエジプト軍主力はシナイ半島に残っています。攻撃はその退路を完全に断つことになりました。
 
 まず空母やキプロスの空軍基地から発進した戦闘機・攻撃機がエジプト国内の空軍基地を空爆。エジプト軍もこれを阻止せんとして空中戦が発生します。英軍の戦闘機はホーカー・シーホークやホーカー・ハンター、フランス軍もミステールやリパブリックF84Fサンダーストリーク(アメリカ製)で、エジプト空軍のMiG-15と性能的には大して変わりませんでしたがやはり技量の違いは圧倒的でエジプト空軍はほとんどの航空機を失いました。
 
 英仏両軍は、空挺部隊をスエズ運河の要衝ポートサイドに降下させこれを占領。続々と陸軍を上陸させスエズ運河地帯を占領していきます。
 
 11月2日には国連が当事者4カ国に停戦を促しエジプト・イスラエルはこれを受け入れようとします。ところがイスラエルの離脱を恐れた英仏は圧力をかけてイスラエルの停戦協定受け入れを翻させました。
 
 このままでは中東における重要な同盟国が敗北してしまうと危惧したソ連は、戦争も辞さずと英仏に圧力をかけてきました。
 
 さらにアメリカまでこれに同調します。実は英仏はアメリカと事前協議をしていませんでした。事後承諾で事足りると甘く考えていたのです。しかしアメリカのアイゼンハワー大統領は英仏の暴挙に激怒します。
 
 米ソは強調し、英仏を恫喝します。二大超大国を敵に回したくない英仏は渋々停戦協定を受け入れました。エジプトイスラエルも反対する理由はありません。こうして第2次中東戦争は終わりました。
 
 
 アメリカが何故英仏に圧力をかける側に回ったかですが、諸説あってはっきりしません。面子を潰されたとか中東地域での戦争を望んでいなかったなど色々言われています。
 
 ただいくつかの本を読んだ中で私が一番しっくりした理由は、
 
①味方ではないにしても敵でもなかったエジプトを完全に敵に回してしまった。
②アメリカはハンガリー動乱などでソ連と対峙中で英仏の行動はアメリカの世界戦略を邪魔するものだった。
③上に関連して戦争を起こすにしてもタイミングが最悪だった。
④イスラエルはアメリカのコントロール下に置きたかったのに英仏が勝手な真似をした。
 
などがあげられるでしょう。
 
 
 ともかく、これで英仏の国際的威信は地に落ち西側陣営ではアメリカ一極体制が確立しました。1960年代の植民地独立ラッシュはこの時の英仏の敗北の影響が大きかったと思います。もはや植民地支配の時代ではなくなっていたのです。
 
 
 一方、スエズ運河を守り抜いたエジプトは戦争には敗北し大きな被害を出しつつも戦略目的は達成したといえます。イスラエルもまたシナイ半島の占領あるいは非武装化という戦争目的こそ達成できませんでしたが、英仏の最新鋭兵器を導入しその気になればいつでもシナイ半島を奪取出来るという自信をつけたので勝利と言えるでしょう。イスラエルは戦車部隊の目覚ましい働きに注目し、以後機甲戦術万能主義に向かいます。
 
 第3次中東戦争の勝利は第2次中東戦争の経験を上手く活かしたものだったと言えるかもしれません。

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