肥後高岡城の謎
先日、行きつけのセブンイレブン(といっても自宅から5キロは離れている)に行った時の事。
途中の坂を登る時墓地の横に何やら看板があるとは思っていたんですが、あまりに暇だったので車を止めて読んでみたんです。
すると高岡城跡とあるではありませんか!読んでみると古代山城跡の記述が。
朝鮮式山城というか当時朝鮮という国はありませんから半島式山城というべきですが、その城がこの地にあったんですね。
おそらく古墳時代あたりに築城されたのでしょう。最初の地図で言うと築山郵便局からセブンイレブンにかけてが城域だったんでしょうね。
ただ山城といっても比高10mもありませんからほとんど平城、贔屓目にみて平山城というところでしょうか。
何故この地に古代山城があったか謎なんですが、近くに日岳がありこの山は古代には狼煙をあげて有明海の灯台の役目を果たしていたそうです。ちなみに日岳は戦国期にはこの地の豪族大野氏の居城がありました。
それと関係あったのかもしれませんね。
ところで看板に矛盾があります(苦笑)。1762年というのは江戸時代ですからいくらなんでも古代山城とは関係ないでしょう。おそらく山城の築城者は平安時代までこの地を支配していた日置氏のはずで、後で入り込んできた荘園領主の紀氏(のちの大野氏)との関連はないと思います。
その大野氏も隣国小代氏との合戦で滅ぼされていますから直接の子孫はいないはず。お姫様というかこの地の庄屋(名主?)の娘さんか何かの墓でしょう。
何でもかんでも城跡に結びつけるのは感心できませんね(苦笑)。
ま、ちょっとした発見でした。今度市民図書館に行って調べてみようと思います♪
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