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2013年4月 2日 (火)

シルクロード基礎知識

 シルクロードというのは19世紀ドイツの地理学者リヒトホーフェンが提唱し、その弟子に当たるスウェーデンの地理学者・探検家のヘディン(楼蘭遺跡の発見で有名)がその著書で広めた名称です。
 
 ヨーロッパと東アジアを結ぶ交易ルートの代名詞でもともとは中央アジアを横断する陸上ルートを指していたのですが、最近はインド洋も含む海上交易ルートも含めてそう呼ぶようです。
 
 何故シルクかというと絹がその主要交易品だったからですが、実は最初もっとも重要な交易品があり、それは支那文明で珍重された玉(ヒスイ)でした。玉は円盤状に加工され璧(へき)として尊ばれます。有名な完璧の故事も和氏(かし)の璧という古今無双の財宝が引き金だったのは支那の歴史に詳しい方ならご存知でしょう。
 
 
 狭義の意味でのシルクロードは中央アジアを横断する陸上ルートを指しますが、甘粛回廊の終着駅敦煌からアムダリア・シルダリアの河間地方ソグディアナの間にはいくつかの難所があります。もっとも知られているのがタリム盆地の大部分を占めるタクラマカン砂漠。そしてその西にはパミール高原が控えます。
 
 タクラマカン越えにはいくつかのルートがあり、大きく分けて砂漠の南側崑崙山脈の麓のオアシス地帯を抜ける西域南道と、砂漠の北天山山脈の麓を抜ける西域北道です。
 
 西域北道も二つに分けられ天山山脈の南側のオアシス地帯を通る道は天山南路、山脈の北側を抜ける道は天山北路と呼ばれます。
 
 簡単にルートを示すと
 
◇西域北道
 
◆天山北路…敦煌 - トルファン -  ウルムチ - イリ渓谷 - ソグディアナ
◆天山南路…敦煌 - 楼蘭 - コルラ - クチャ - カシュガル - パミール高原  
 
◇西域南道…敦煌 - 楼蘭 - ニヤ - ホータン - ヤルカンド - カシュガル - パミール高原
 
となります。
 
 
 
 実は一番古くから開通していたのが西域南道だといわれ、ホータンで産出する玉が支那で珍重されていたどうです。一説では紀元前10世紀ごろから玉の交易が行われたともされ、上の和氏の璧の和氏も紀元前にこの交易ルートを支配していたアーリア系遊牧民族月氏なのではないかとも言われています。
 
 
 楼蘭王国は玉を扱う中継貿易で栄え、 ヘディンが発見したという楼蘭の美少女のミイラも紀元前19世紀頃の人だという鑑定がなされています。
 
 
 西域からの主要交易品が玉であり、支那からは絹がもたらされました。このほか南ロシアからモンゴルに至る草原の道も主要な交易ルートで、実はこちらの方が交易品の流通量は多かったのではないかともいわれています。
 
 実際、草原の道は遊牧騎馬民族が運ぶのでスピードも速く確実です。歴史上スキタイや匈奴、突厥などの有力な遊牧帝国が成立したのは草原の道の交易ルートを支配したからでしょう。
 
 このほか、崑崙山脈の南側、チベット高原の北縁を抜けるバイパスもありヤルカンドから南下し崑崙山脈を越え南麓沿いに東進し青海(チンハイ)省のツァイダム盆地から甘粛、陝西に下ります。
 
 
 このツァイダム盆地は、遊牧に適した土地で黄河の水源地帯でもあることから農耕もできました。チベットの中では最も早くから開けた地方の一つで吐谷渾(とよくこん)などのチベット系遊牧国家が成立したのもこのためです。
 このルートを仮に崑崙バイパスと名付けますが、鄯善(ぜんぜん 楼蘭王国の支那呼称)第二王国の成立の謎にも関わってきます(のちに記事にする予定)。
 他に「西域都護班超と月氏(クシャン朝)の戦争」、「吐谷渾と吐蕃 氷雪の国の興亡」(ともに仮題)なども記事にする予定でおります(笑)。

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