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2013年9月 1日 (日)

中世イスラム世界Ⅵ  セルジュークトルコ帝国

 セルジュークトルコ帝国、後にアナトリアに分裂した後のルームセルジューク朝があるので、それと区別するために大セルジューク朝ともいいます。
 
 アラブ人が興したイスラム帝国が変質したのは、東方からトルコ人が大挙して流入してきたからです。もともとはマムルーク(軍人奴隷)としてアラブ世界に雇われたトルコ人たちは次第に実力を蓄え主家の実権を握ったり、甚だしい場合は主家を倒して自らの王朝を建国したりしました。
 
 アッバース朝の支配が崩れ西アジア各地で軍閥が勃興し勝手に国土を切り取り始めたのがきっかけでした。サーマン朝然り、ブアイフ朝然り。
 
 
 セルジューク朝を建国したトルコ人たちは、最初中央アジアのサーマン朝に仕えます。彼らは突厥の西遷にくっついてきた連中で、10世紀ころにはアラル海東方の草原地帯にいました。この地にもイスラム教は浸透していましたからトルコ人たちは自然とイスラム教に改宗しました。
 
 
 この遊牧トルコ系民族でありながらムスリム(イスラム教徒)になった連中をペルシャ語でトゥルクマーンと呼ぶそうですが、11世紀初頭サーマン朝に仕えるトゥルクマーンたちの中でセルジューク家に属する者たちの一部4000家族は、サーマン朝を見限ってアムダリア(アム川、アラル海にそそぐ大河)を渡りガズナ朝のマフムードに仕えます。
 
 しかし彼らの実力を恐れたマフムードはトゥルクマーンたちを幽閉してしまいました。一方、サーマン朝に残った者もいて彼らは指導者にトゥグリル・ベグを選出します。サーマン朝は中央アジアに興ったイスラム教徒のトルコ人遊牧国家カラハン朝と対立し999年滅亡しました。
 
 
 トゥグリル・ベグは、配下の遊牧民たちをまとめ新天地を求めてイラン高原へ進出しました。まず高原の入口に近いアラル海南岸のホラズム地方を1042年占領。ホラズムを根拠地としイラン高原北東のホラサン地方に侵入しました。1050年にはイラン高原の重要都市イスファハーンを手中にします。トゥグリル・ベグはこの頃からスルタンを称し始めていたようです。
 
 セルジュークのイラン高原進出は、必然的にこの地方を支配するガズナ朝との対決となりました。さらにその西にはブアイフ朝が盤踞しており、トゥグリル・ベグはこれらの国々と対決するためにも大義名分が欲しかったのです。そこで目をつけたのがバグダードのアッバース朝カリフでした。彼はカリフに使者を送りあくまで自分はカリフの擁護者でありカリフに仇なす者たちを討っているのだと主張します。カリフにとって世俗の支配者が誰になっても変わりませんでした。その時々の実力者に権威を与える事で生き残りを図ったのです。
 
 両者の利害は一致し、セルジューク軍は1055年バグダードに入城します。トゥグリル・ベグはセルジューク朝の初代スルタン(在位1038年~1063年)として象徴としてのカリフを頂きメソポタミアとイラン高原を支配する大帝国を築きあげました。かつてインド亜大陸に進出するほど強勢を誇ったアフガニスタンのガズナ朝はセルジューク朝に圧迫され12世紀には臣従することになります。一方、ブアイフ朝は1062年最後の拠点イラン南西のファールス地方を落とされ滅亡しました。
 
 1063年トゥグリル・ベグが病没すると甥のアルプ・アルスラーン(在位1064年~1072年)が2代目スルタンを継ぎます。このアルスラーンの時代がセルジューク朝の絶頂期でした。1070年エジプトのファーティマ朝からシリア北部(アレッポなど)を奪い、ビザンツ帝国にはアルメニアのマラーズゲルドの戦いで勝利しました。
 
 
 ビザンツ帝国はこの敗北でアナトリア半島(現在のトルコ)の大半を失い、以後この地方は完全にトルコ化します。ビザンツがセルジューク朝に敗北したことが恐慌を招き欧州世界の十字軍結成の原因になりました。アルスラーンは帝国宰相としてアーリア人のニザーム・アル・マリクを抜擢、ニザームはスルタンの期待に応えてセルジューク朝の基礎を固めました。
 
 アルスラーン死去後、彼の子マリク・シャーを擁立したのも彼でした。ニザームがあまりにも有能すぎたため反対勢力は彼を憎み抜きました。とくにシーア派過激派のイスマイリ教団はアサシン(暗殺者)を送り込んでニザームを暗殺します。1092年の事です。
 
 
 大宰相ニザームの死は、セルジューク朝黄金時代の終わりを象徴する事件でした。同年、マリク・シャーも病没。その後継者を巡る争いで帝国は急速に衰退し多くの小国に分裂します。その中の一つアナトリア半島に建国したルーム・セルジューク朝は十字軍との激闘で栄枯盛衰を繰り返しつつも1308年まで続きました。
 
 
 
 セルジューク朝の世界史的役割は何だったのでしょうか?私はトルコ民族が西アジアに定着したきっかけだったと考えています。そしてセルジューク朝にくっついて中東に侵入した部族のうちアナトリア西部に定住したオスマン家が14世紀急速に勃興して欧亜にまたがる大帝国を建国するのです。
 

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