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2013年9月 1日 (日)

中世イスラム世界Ⅴ  後ウマイヤ朝  前編

 750年、イスラム最初の世襲王朝ウマイヤ朝はイラクに興ったアッバース朝に滅ぼされます。
 
 アッバース朝初代カリフ、アブル・アッバースは前王朝所縁の者を徹底的に弾圧しました。抵抗した王族はもちろん、逃げ隠れしていた者たちまで探し出して残忍な方法で処刑します。そのエピソードの一つ一つが気分の悪くなるものばかりなのでここではあえて記しません。
 
 しかし完璧を期したつもりでも漏れはあるもの。ウマイヤ朝第10代カリフ、ヒシャームの孫に当たる一人の若者だけが難を逃れました。いや正確には若者とその弟、そして若者の幼い子供です。
 
 
 若者の名はアブドル・ラフマーン(アブドゥ・アッラフマーン・ブン・ムアーウィア、731年~788年)。この時弱冠二十歳。金髪で長身、眉目秀麗、絵にかいたような王子様でした。
 
 
 アブドル・ラフマーンはアッバース朝側が和睦の酒宴に招いた時も疑って出頭しませんでした。この時信じてアッバース朝に降伏した王族はことごとく酒宴の席で惨殺されます。
 
 
 彼はユーフラテス河に近い寒村に身を潜めていました。ある日4歳になる息子が怯えて泣きながら駆けこんできました。戸外を見るとアッバース朝の黒い旗が多数動いています。アブドル・ラフマーンはこの時息子を置き去りにして弟と逃げました。幼児を連れていては逃げきれないというドライな計算だったのでしょうが、おそらく子供はこの時殺されたと思います。
 
 各地を転々とした一行はついに密告者によって潜伏先をアッバース軍に売られ、追い詰められた兄弟はユーフラテス河に飛び込みます。しかし弟は逃げ遅れて捕まり、アブドル・ラフマーンが向こう岸に辿りついた時には敵兵によって惨殺されるところでした。
 
 こうして天涯孤独の身の上となったアブドル・ラフマーンはパレスチナに逃れます。その地で彼を追ってきた忠僕バドルと再会しました。喜びもつかの間、アッバース朝の追手を逃れるためエジプト、そしてさらに西へ逃亡します。
 
 アブドル・ラフマーンには唯一希望がありました。というのも彼の母はモロッコのベルベル族出身でそこまで逃げれば何とかなると踏んだのです。
 
 
 が、一行がモロッコまで辿りついたのはそれから5年後でした。アッバース朝の追手を逃れるためにそれほど苦労をしたのです。
 
 ベルベル族は、亡命の王子一行を温かく迎えました。王子健在を伝え聞いて各地に潜伏していたウマイヤ家の旧臣たちも続々と集まってきます。
 
 
 アブドル・ラフマーンはこの地で自立を計りますが上手くいきませんでした。そこで狭い海峡を隔てたイベリア半島に目をつけます。そこはイスラムの勢力下に入って日も浅く統治が安定していないと見たのです。またウマイヤ家の旧臣たちもかなり残っていました。
 
 
 アブドル・ラフマーンはバドルに密書を授けイベリアに潜入させます。バドルはイベリア各地で旧臣を説きました。755年4月、イベリアから12人の使者がアブドル・ラフマーンを迎えるべくモロッコに到着します。王子は迎えの船に乗りイベリア半島アルムネーカルの港から上陸しました。
 
 
 当時イベリアは、アッバース朝の総督ユースフ・アル・フィフリーが統治していました。しかし王朝交代の混乱を上手くまとめきれず北方のサラゴーザで反乱が起こります。ユースフが反乱鎮圧に出かけていた隙を衝いての上陸でした。
 
 
 アブドル・ラフマーンはどのようにしてイベリア半島を統一したのでしょうか?次回、後ウマイヤ朝成立とその興亡を描きます。

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