北海道のチャシ
日本には砦程度の小規模なものまで含めると2万5千ほども城跡があるそうです。沖縄にはグスク、北海道にもチャシと呼ばれる城跡があります。
沖縄のグスクに関しては割合有名である程度資料も揃っているのですが、こと北海道のチャシに関しては私が見つけられないだけかもしれませんが資料がほとんどないのが現状です。
チャシはアイヌ族が建てた城跡でオホーツク沿岸を中心に所謂東蝦夷地と呼ばれた道東・道南に多いそうです。チャシの語源には諸説あり、アイヌ語で「我 立てる」(チ アシ)から来たという説、山の上で柵を巡らせた施設の事を意味するなど諸説あってはっきりしません。
チャシは近世アイヌ文化で出現した城で、海岸沿岸部の丘陵や河岸段丘の先端部を利用し空堀で区切って柵を巡らせたものでした。比較的小規模なものが多いですが、中には戦国期城塞のような馬出し、虎口、横矢掛かりを設けた本格的なものもあったそうですから驚かされます。
古いものでも14世紀を遡らないそうですが、従来は和人との戦いに備えたものだと言われていました。しかし調査が進むにつれ本来は宗教施設だったのではないか?という説も出てきました。ただ和人との戦いが激化していく中で最終的に城塞化していったのは間違いないでしょう。
興味深いのは、チャシの分布が江戸時代前期にアイヌ人を率いて反乱を起こしたシャクシャインの勢力圏とほぼ一致している点です。本格的な防御工事はこの時期になされたのかもしれませんね。
画像で紹介したのは代表的チャシ遺跡である足寄(あしょろ)郡陸別町(りくべつちょう)にあるユクエピラチャシ跡です。私は北海道に土地勘がないのでよく分かりませんが、帯広から網走に抜ける国道242号線に近い十勝川の支流利別川西岸の比高50mの丘陵上にあり内陸部にあるチャシ跡では最大級のものだそうです。
いつの日行ってみたいですね。私はこういう城跡には目がないものですから(笑)。
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