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2013年10月 5日 (土)

中世ヨーロッパⅢ  カロリング朝の分裂

 古代ゲルマンの慣習では国家は国王個人の所有物という考えでした。長子相続が確立しているわけではなく国王が死ぬと王子たちが分割して相続する事が多かったようです。
 
 カール大帝は、せっかく統一した帝国を分裂で弱体化させないために生前嫡男ルイ1世(敬虔王、778年~840年、在位814年~840年)を共同統治者に定め後継者としました。
 
 ルイ1世にとって幸運だったのは、ライバルになる可能性のあった男子兄弟がみな夭折していたことでした。しかしルイ敬虔王の子ロタール1世(在位840年~855年)の時は上手くいきませんでした。
 
 次男のシャルル、三男のルードヴィヒは兄の相続に異を唱え激しく争います。こうして843年長男ロタールがロレーヌとイタリアを、次男シャルルがガリアを、三男ルードヴィヒがバイエルンとザクセンを貰うことで決着しました。これをヴェルダン条約といいます。
 
 ところが兄ロタール1世が855年に没するとシャルルとルードヴィヒはまたしても結託し、ロタールの子ルイからロレーヌを取り上げて自分たちで勝手に分割してしまいました。二人が870年に自分たちの取り分を決めた条約がメルセン条約です。
 
 以後フランク王国は、シャルルの子孫が継承したガリアの西フランク王国と、ルードビッヒの子孫が継承したドイツの東フランク王国に分裂します。イタリアはルイの子孫のカロリング家が875年早くも断絶し以後統一勢力は現れませんでした。
 
 西フランク王国はフランスに、東フランク王国はドイツへと発展していきます。
 
 
 西フランク王国は、シャルル2世禿頭王(在位843年~877年)から始まり11代ルイ5世まで続きました。ルイ5世が987年狩猟中の事故で死去すると姻戚関係にあったユーグ・カペーが国王に選出されカペー朝が始まります。その後のヴァロワ朝、ブルボン朝も皆カペー家の一族です。カペー朝以後はフランス王国と呼ばれます。
 
 
 東フランク王国は、ルードヴィヒ2世(1世は父ルイ敬虔王。ルイのドイツ語読みがルードヴィヒ。在位843年~876年)から始まりこの子孫がカール大帝以来の西ローマ皇帝位を継承します。6代目のルードヴィヒ4世は911年わずか17歳で死去し嗣子もなかったためドイツ・カロリング朝は断絶しました。王位を継いだのはフランケン家のコンラート1世。ただフランケン朝は一代で終わり、次にはザクセン家のハインリヒ1世が有力諸侯によって東フランク王に選出されました。ハインリヒ1世以後をドイツ王国と呼びます。
 
 ハインリヒ1世の子オットー1世は936年、カール大帝にちなみアーヘンで即位しました。反抗する諸侯を抑え王家の直轄領を増やすと951年にはイタリアに遠征し領土を拡大、ドイツ王に続きイタリア王を名乗りました。
 
 その後もドイツ国内では一族間の内紛が続きオットーは血みどろの戦いを続けます。955年にはドイツに侵入したアジア系遊牧民マジャール人(のちにパンノニア平原に定着しハンガリーを建国)をレヒフェルトの戦いに撃破、これによってヨーロッパ世界における声望は一気に高まりました。
 
 
 オットーは、ローマ教皇ヨハネス12世と密接に連絡し962年教皇によってローマで皇帝の冠を授けられました。これが狭義の意味での神聖ローマ帝国の始まりです。(広義ではカールの戴冠を始まりとする)
 
 オットー1世はこれにより大帝と称えられます。(ドイツ王としては在位936年~973年、神聖ローマ帝国初代皇帝としては在位962年~973年)
 
 
 しかし神聖ローマ皇帝はローマ教皇によって戴冠するのが慣例となり、単なるフランス王に過ぎないカペー家とは違った歴史を辿りました。名を捨てて実を取ったカペー家、逆に名を取ったザクセン家。ザクセン家は1024年5代で断絶します。その後はザリエル家(カロリング家の分家)のコンラート2世が戴冠し、彼の孫ハインリヒ4世のときに大事件を起こしました。
 
 
 事件の顛末については次回お話ししましょう。
 

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