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2013年10月 5日 (土)

中世ヨーロッパⅤ  十字軍

 十字軍とは11世紀末に始まり13世紀まで続く欧州のキリスト教諸国による聖地エルサレム回復運動です。しかし逆にイスラム教徒側から見ると蛮族フランク人による侵入以外の何物でもありませんでした。
 
 
 一般にイスラム教徒は「コーランか剣か」というように異教徒にはジハード(聖戦)を仕掛け厳しい態度で臨んだようなイメージがあります。ところが実態は、自分たちに従う異教徒には税金を掛けただけで信仰は保証しむしろ穏健な態度で臨みました。
 
 というのは征服地のすべての住民をイスラム教徒に改宗するのは不可能だし、もしそれを実行しようとしたら激しい抵抗を受けるからです。イスラム教徒の中でさえアラブ人とそれ以外の対立がありアッバース朝の成立に繋がったくらいですから、異教徒をあえて敵に回す必要はありませんでした。
 
 
 637年のイスラム勢力によるエルサレム征服以来、むしろ穏健な統治のもとでキリスト教徒は平和な生活を送っていました。
 
 
 ではなぜ十字軍が起こったか、ですが私はビザンツ帝国やヴェネチア、ジェノバなどの商業国家の利害にローマ教皇庁の勢力拡大という意図が一致した結果だと思っています。
 
 
 実際、ビザンツ帝国はイスラム教徒であるセルジュークトルコに本土とも云うべきアナトリア半島(現在のトルコ)の大部分を奪われ存亡の危機に陥っていました。ヴェネチアやジェノバも地中海貿易をイスラム教徒に独占されてしまうと自分たちの利権が大きく侵害されるので警戒感を抱いていました。
 
 一方、ローマ教皇庁はビザンツを助けることによって東西に分裂したキリスト教世界をローマ優位のもとで統一しようという野心を抱いていました。当時教皇権が拡大し最大になっていた事も後押ししたのでしょう。
 
 
 時のローマ教皇ウルバヌス2世は1095年南フランスのクレルモンで公会議を開き聖地エルサレム奪回の十字軍を決定します。しかしこれは欧州各国の王家にとっては迷惑以外の何ものでもありません。各国はようやく王権を拡大させ自国の統治を一元化しようとしている最中でした。十字軍参加は、ローマ教皇を怒らせると破門になってドイツのハインリヒ4世のように酷い目に遭わされるからという理由だけでした。一部戦争馬鹿のリチャード1世のような例外はありますが(苦笑)。
 
 しかし王家以外の騎士たちにとっては、教皇庁の送った煽動使の説く東方の豊かな富を我がものにできるという話は耐え難い誘惑でした。ローマ教皇の権力が最高潮に達したこの時代でも純粋な信仰心から十字軍に参加した者はほんの一握りでした。
 
 
 最初の十字軍は、1095年純粋な信仰心からなる民衆十字軍でしたがこれは見事に失敗。エルサレムどころかシリアへも到達できず小アジアでルームセルジューク軍によって壊滅されられます。
 
 
 全十字軍の中で曲がりなりにも成功したのは1096年から始まったフランスやドイツの騎士を主力とする第一回十字軍でした。イスラム勢力の内部分裂をうまく衝きパレスチナ、シリアの地中海沿岸地方を占領することに成功します。
 
 騎士たちは、占領地にエルサレム王国、エデッサ伯領、トリポリ伯領、アンティオキア公国などの所謂十字軍国家を建国しました。
 
 イスラム勢力は、フランク族(当時のフランス人やドイツ人たちをイスラム側はこう呼んでいた)の侵略という危機の前に統一戦線を築いて対抗し始めます。まずはザンギー朝、次いでアイユーブ朝。
 
 特にアイユーブ朝の創始者ユースフ・イブン・アイユーブ(サラーフ・アッディーン。ヨーロッパではサラディンとして有名)はエルサレムをキリスト教徒から奪回するなどめざましい活躍をしました。
 
 第3回十字軍(1189年~1192年)は神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世、イギリス王リチャード1世などスター級が揃った豪華な十字軍でしたがアッコンを奪回したほかは見るべき成果はありません。それ以後の十字軍は惨憺たる結果でした。
 
 結局キリスト教勢力はアイユーブ朝の後を継いだマムルーク朝によってパレスチナから叩き出され元の黙阿弥になってしまいます。
 
 
 ビザンツ帝国の衰退は決定的になり、途中には味方であるはずの十字軍から国を奪われるという事件まで起こりました。しかしヴェネチアなどの商業国家はいち早くビザンツを見限りマムルーク朝と通商条約を結ぶなど上手く立ち回ります。ローマ教皇の影響力はインノケンティウス3世(在位1198年~1218年)時代を頂点として以後は衰退していきました。
 
 その反面、フランス王国、イギリス王国、神聖ローマ帝国などはローマ教皇庁の影響力を排除し自国支配を固めて行きます。
 
 14世紀からイタリアで始まるルネサンスは、ローマ教皇庁の権力衰退と対照的にイスラム世界との東方貿易で富を得たヴェネチア、ジェノバ、フィレンツェなどの都市国家が実力を蓄えた成果でした。そして王権はますます伸張し封建時代から絶対王政の時代へと突入していくのです。

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