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2013年11月 7日 (木)

三国志Ⅸ  臣道

 199年、許都に凱旋した曹操は劉備を伴い献帝に拝謁します。帝にその先祖を尋ねられた劉備は景帝の第8子中山靖王劉勝の末裔であることを明かしました。たいへん驚かれた帝は、「それでは朕の叔父にあたるではないか」と言われ、以後劉備は劉皇叔と呼ばれるようになります。
 
 ただ劉勝は子と孫を合わせて120人もいたとされますから華北のあたりにはその子孫が掃いて捨てるほど居た計算になりますが(苦笑)。
 
 権臣曹操に圧迫されていた帝が、すこしでも味方になる可能性のあった者に特に目を掛けられたというのが真相でしょう。ただ劉備にとっては皇叔の称号は後々とても大きくなりました。献帝が貴妃董氏の父で国舅と尊称された車騎将軍董承に密勅を下し曹操暗殺を命じられた時、その同志に劉備が選ばれた事でもその影響力の大きさが分かります。
 
 
 ところで劉備は現実主義者です。今の状況で曹操を除く事が不可能であることは明白でした。彼は同志に隠忍自重を促し自分自身も秘かに許都脱出の機会を待ち続けます。そんな中、河北の袁紹が長年の宿敵だった北平の公孫賛を滅ぼしたという重大な報告がもたらされました。これにより袁紹は冀州、并州、幽州、青州という黄河以北と山東半島を版図に加え一躍大陸一の大勢力に成長します。
 
 淮南の偽帝袁術は、長年の悪政の末国を保てなくなったので兄袁紹に泣きつきます。袁紹は「河北に来ればなんとかしてやろう」と返事し、袁術は国を捨て大軍を率いて兄と合体すべく北上を開始しました。
 
 劉備は、曹操に偽帝袁術討伐を申し出、容れられます。早速曹操に兵五万を借り受け徐州に向かいました。悪政で人心も離れていた袁術はあえなく劉備に討たれます。しかし劉備はその後も徐州を離れず曹操と公然と敵対しました。
 
 一方、曹操誅殺の有力な武力であった劉備や西涼の馬騰がそれぞれ本国に帰ったため武装蜂起が不可能になった董承一派は善後策を協議しますが密告者があり陰謀は発覚します。烈火のごとく怒った曹操は加担した高官たちを逮捕しその家族も含めてことごとく処刑しました。曹操の怒りは収まらず董承の娘董貴妃にも自殺を強要します。この時帝の子を身ごもっていた貴妃は「せめてこの子の命だけはお助けを」と泣きながら訴えますが聞く耳持ちませんでした。結局董貴妃も斬られます。
 
 
 陰謀に劉備が加担していた事を知った曹操は、これを討つべく軍勢を集結させます。恐れた劉備は腹心の孫乾を河北に派遣し袁紹に同盟を求めました。最初弟を殺した劉備を許さず怒りを露わにした袁紹でしたが、謀臣審配の「大敵曹操と当たるには劉備を味方にしておくのが得策です」という進言を容れ同盟を認めました。
 
 
 早速河北軍十万が曹操を討つべく黄河を渡ります。二正面作戦を強いられた曹操は、まず大軍を袁紹に当たらせて戦線を膠着させ、その隙に精鋭五万を引き抜いて劉備の籠る徐州を急襲しました。
 
 まさか曹操自らが討伐に来るはずがないと油断していた劉備は、さんざんに敗北し逃亡します。家臣たちもみな行方不明になり残されたのは下邳で劉備の妻子を守っていた関羽だけでした。
 
 
 日頃関羽の武勇と義に厚い心に惚れ込んでいた曹操は関羽に降伏を勧めます。関羽も苦渋の決断をし「主君の妻子の安全を保障してくれるなら」という条件で開城しました。曹操は関羽を厚遇し扁将軍、漢寿亭侯に封ずるなど恩顧を与えますが、そうされればされるほど関羽の悩みは深まりました。「忠臣は二君に仕えず」という言葉を人一倍分かってるのも関羽だったからです。
 
 曹操との約束は、主君劉備の行方が分かれば曹操のもとを離れるという破格の条件で、そのために群臣は曹操を秘かに批判しました。ただそうまでしても関羽という人材が欲しいというのが人材コレクターともいえる曹操の一面なのでした。関羽は、例え曹操のもとを離れるにしても今まで受けた恩を返してから去るという事を心に決めます。
 
 
 その機会は間もなくやってきます。袁紹と曹操は全勢力を上げて対峙、緒戦は大軍であった袁紹軍が圧倒していました。関羽は自ら先鋒を買ってで白馬で顔良、延津で文醜という袁紹軍の勇将を斬り戦功をあげました。
 
 
 関羽の活躍は、袁紹のもとに逃亡していた劉備の立場を悪くしました。一時は裏切り者として斬られそうになりますが必死に申し開きしてなんとか助かります。このまま袁紹のもとにいてはいつか殺されると恐れた劉備は、自ら汝南に赴き曹操の後方を撹乱する役目を買ってでました。袁紹としても体の良い厄介払いになるのでこれを認めます。
 
 関羽は、秘かに劉備の使者を迎え主君の無事を知りました。かねてからの約束通り劉備の妻子を守って許都を発した関羽一行は艱難辛苦の末主君劉備と再会します。この時曹操は、いきり立つ諸侯をなだめ関羽に危害を加えるなと厳命したとされますから、彼の士を愛する心は本物だったのでしょう。敵対する者には悪鬼のごとく厳しいが一度味方に付いた者には限りなく愛情を注ぐ、そこが英雄曹操の魅力でした。
 
 
 ともかく、曹操と袁紹の決戦は刻一刻と近づきつつありました。次回、三国志前半のクライマックスの一つ、官渡の戦いを描きます。

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