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2013年12月 2日 (月)

三国志外伝Ⅰ  諸葛氏の一族

 三国志というのは内容が膨大すぎて本編だけではすべてを語り尽くしたとは言えません。そこで外伝では書き足らなかった部分をいくつか補おうと思います。
 
 最初は諸葛氏。三国時代から晋にかけて突如勃興し、その後歴史から姿を消した一族についてです。三国時代陳羣を輩出した頴川陳氏(玄奘三蔵や作家の陳舜臣もその一人)のように現在に至るまで続く家系は稀で大半の名族は戦乱の時代に滅び去りました。諸葛氏もその一つと言えます。それでは本編に登場する諸葛亮、諸葛瑾以外の魏呉蜀の諸葛氏について述べて行きましょう。
 
【蜀の諸葛氏】
 
◇諸葛瞻(しょかつせん・227年~263年)
 
 亮の嫡男。生母が黄夫人(黄承彦の娘)かどうかは不明。幼少時から利発だったが逆に父は早熟過ぎて大物になれない事を心配。父の死後爵位武卿侯を継承。17歳の時皇帝劉禅の娘を娶る。その後順調に昇進し261年衛将軍、平尚書事になる。
 
 ただし宦官黄皓の専横になすすべなく、軍の実権を持つ姜維と対立するなどイメージは良くない。最後は魏の鄧艾が蜀に迫った時綿竹関で玉砕。
 
 
◇諸葛尚(245年~263年)
 
 諸葛瞻の長子。諸葛亮の孫であるとともに母方から劉備の孫にもあたる。父が黄皓を除かなかったことに批判的だったが、最後は263年父とともに綿竹関で戦死。
 
 
◇諸葛京(生没年不詳)
 
 諸葛瞻の子(次子?)、尚の弟。蜀滅亡時年少であり264年河東に移住を命じられる。長じて晋に仕え江州刺史に出世。近年発見された諸葛亮の子孫と称する浙江省蘭渓市の諸葛八卦村は京の末裔らしい。
 
 
◇諸葛質(生没年不詳)
 
 諸葛瞻の子。263年蜀滅亡時皇帝劉禅の子洮陽王劉恂が降伏を拒否し南蛮に逃れた際関索、霍弋、呂凱と共に同行し南蛮王孟虬に保護を求めた時の使者とされる。ただし劉恂が南蛮に逃れたという事実は正史には無く呂凱もすでに亡くなっており史実とは認めがたい。関策も民間説話上の架空の人物と思われる。
 
 伝説では劉恂一行は南蛮王の保護を受け南中県水昌(貴州省)に隠棲したとされる。
 
 
◇諸葛懐(生没年不詳)
 
 諸葛亮の三男。諸葛亮の子だという事で晋の武帝(司馬炎)から爵位を与えられようとしたが拒否。成都郊外の田舎で隠棲したと云う。ただし正史では他の諸葛一族とともに河東に移住させられたとされはっきりしない。
 
 
 
【呉の諸葛氏】
 
◇諸葛恪(しょかつかく・203年~253年)
 
 呉の元老諸葛瑾の長男。諸葛亮の甥。幼少時から才気あふれ将来を嘱望されるが才能をひけらかすところがあり父は心配していたという。246年大将軍。251年呉の皇太子孫亮(孫権の七男)の太子太傅。
 
 孫亮が即位すると呉の独裁者になる。253年合肥の戦いの失敗により人望を失い、クーデターで一族皆殺しになった。恪は傲岸不遜な性格で嫌われており姪とその夫まで巻き添えに遭う。
 
 
◇諸葛喬(しょかつきょう・204年~228年)
 諸葛瑾の次男。子の無かった叔父諸葛亮の養子になる。その後亮に実子が生まれた後も厚遇されたらしい。才能は兄恪に劣っていたが温厚な性格で人に愛された。漢中で病死。享年25歳。子の諸葛攀は諸葛恪一族誅殺の後呉に戻って仕えたが、孫の諸葛顕は蜀に残り滅亡後他の一族とともに河東に移される。
【魏の諸葛氏】
◇諸葛誕(?~258年)
 
 徐州琅邪郡陽都県の人。諸葛瑾・亮兄弟の又従兄弟とされる。ただしこれには異説があり瑯邪諸葛氏の嫡流という説も。『歴代神仙通鑑』では、諸葛誕は諸葛珪の末子。
 『世説新語』では「蜀漢は其の竜を得、呉は其の虎を得、魏は其の狗を得たり」と書かれているがこれは誕には酷な評価だろう。
 魏では厚遇され、御史中丞・尚書から楊州刺史・昭武将軍になる。252年東興の戦いで呉に敗れ一時失脚するが255年毌丘倹と文欽の乱鎮圧後再び楊州刺史に復帰。鎮東大将軍・都督揚州諸軍事・儀同三司に任命される。
 曹爽一族の縁戚だったことから司馬氏がクーデターで曹爽を滅ぼした後も潜在的敵だとみなされていたらしい。257年司馬昭が実権を握ると、挑発されついに楊州寿春で挙兵。善戦するも司馬昭率いる26万の大軍の前に戦死。
 諸葛誕の奮戦ぶりに感心した司馬昭は、彼の部下たちに「降伏して自分に仕えれば助ける」と言ったがこれを受け入れる者は一人もいなかったという。後、部下たちは全員処刑された。その数数百人。それだけ人望を得ていたと言える。
 当時の人は秦末の田横(その死を聞いて500人の食客は全員殉死した)と引き比べ賞賛したという。
 諸葛誕の三族は皆殺しにあい、魏における諸葛誕一族は滅亡した。

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