2023年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
無料ブログはココログ

« 三国志外伝Ⅱ  司馬一族の専横と三国の滅亡 | トップページ | 世界史英雄列伝(42) 『カール12世と大北方戦争』  前編 »

2013年12月 2日 (月)

東南アジアの民族大移動

 最近、河出文庫の「世界の歴史18 東南アジア」を読みました。このあたりの歴史は高校世界史レベルの最低限の知識しかなかったのでたいへん面白く読めました。
 
 その中で、東南アジア・インドシナ半島も相当大規模な民族大移動が行われていたことが分かって驚いています。
 
 
 皆さん(と言っても興味のある方以外読まないと思いますが…苦笑)、民族大移動と言えば一番有名なゲルマン民族の大移動を思い浮かべるでしょう。やや深い知識の方でトルコ民族の西遷。ところがインドシナ半島もそれに劣らない規模で民族大移動が起こっていたのです。
 
 
 主役はベトナムを建国した越族、タイを建国したタイ族、そしてミャンマーの人口70%を占める主流民族ビルマ族。この中で越族とタイ族は知っていましたが、ビルマ族もそうだったとは驚きです。
 
 
 越族は支那の春秋戦国時代の越と同じ民族です。発祥の地は長江下流の浙江省だと云われ春秋時代末期急速に強大化した越は一時山東省南部まで達し中原を窺いました。ところが楚に滅ぼされ遺民たちは南方に逃れます。それらが長江以南東シナ海沿岸の浙江、福建、広東、広西に広く分散し百越と呼ばれるようになりました。
 
 もちろん現地の先住民と混血がすすみますから春秋時代の越人とは相当違ってきていたとは思います。ただ言語的には古越語をルーツとする贛語呉語閩語粤語などを話す人たちでした。
 
 彼らは南下する漢民族に圧迫され、その生活の中心を次第に南方に移します。紀元前207年南越国成立、紀元43年頃の徴姉妹の乱はまさに越族の起こした反乱ですから少なくともこの時代までには河内地方(ハノイ、越南とも呼ばれる。現ベトナム北部)に達していたのでしょう。ベトナムは実は単一民族国家ではありません。
 南部にはアウストロネシア語族に属する古代海洋民族チャム族が占城(チャンパ)王国を建国し栄えていました。これは192年に成立し1832年阮朝大越国に滅ぼされるまで続きます。ですから北ベトナムと南ベトナムはもともと民族が違う別の国だとも云えます。ただし滅亡後のチャム族は越族に圧迫されずいぶん人口が激減したそうですが。
 
 次にタイ族を取り上げましょう。タイ族は意外な事に発祥の地がアルタイ山脈の麓あたりといいますから太古の昔は日本民族とお隣同士だった可能性が高いです。従来は支那チベット語族と見られていましたが最近の学説ではタイ・カダイ語族(タイ・ラオス・一部ベトナム)といい分けて考えられています。
 支那春秋戦国時代の楚はタイ族であった可能性が高いとされますから大昔からタイとベトナムは宿敵同士だったと言えますね。私の過去記事では越族とタイ族は稲作発祥にも深い関わりを持ち長江文明の主要な担い手だったと推理しています。
 これも越族と同様、膨張する漢族に追われて南下しました。三星堆文明や古代蜀、古代巴国もタイ族の国だったらしいです。紀元前5000年頃長江流域まで南下しており、さらに漢族に追われて紀元1000年頃にはすでに中心は四川、湖南、雲南あたりに移っていたようです。三国志の諸葛亮が遠征した南蛮というのはまさにタイ族系の少数民族だったらしく、驚くべきは南詔王国や大理王国と云った雲南に成立した支那王朝と伍する強国もタイ族の国だったとか。
 だいたい10世紀ころまでは雲南省、貴州省を中心に分布し、インドシナ半島へは7世紀ころから徐々に浸透していったようです。当時その地はクメール族(のちにカンボジアを建国)が住んでいましたが、タイ族はこれを駆逐し1235年スコータイ朝を建国します。
 これがタイ族の主流ですが、メコン河沿いに南下し途中でとどまった民族にラーオ族などがありこれらがラオスを建国しました。支那大陸で鍛えられていたタイ族は戦争にも長け大国であったクメール王国の領土を蚕食、ほぼ現在のタイの領域を平定したばかりか、ビルマやカンボジアにも進出します。
 もとインドシナ半島の主人だったクメール人は、東西を強大な異民族(越族、タイ族)に圧迫され続け苦しめられました。領土も最盛期の3分の1以下に落ち込み現在のカンボジアの領域になります。
 ただタイ諸族全部が南下したわけではなく多くは雲南や貴州省に少数民族としてとどまっています。
 最後はビルマ族です。タイ族と越族の歴史はだいたい知っていたので実は一番驚いたのがビルマ族でした。なんとその前身は五胡十六国を作った五つの異民族の一つ、氐(てい)らしいというのです。そして氐は一時北支那を統一した前秦まで建国しています。
 確かにどちらもチベット・ビルマ語族。もともとはチベット高原に住んでいた民族でチベット東部、雲南西部の山岳地帯を通ってイラワジ河沿いに南下、ビルマ地方に定着します。これがだいたい9世紀ころ。氐はそのころにはすでに支那本土での活動を停止していますので時系列的には可能性大ですね。
 これも戦闘民族で、先住のモン族などを駆逐し次第にベンガル湾方面まで達して行きました。ビルマ族最初の王朝は1057年に成立したパガン王朝。ビルマとタイ、タイとベトナムは歴史的にしばしば戦争をしていますがこれは支那大陸に住んでいた頃からの宿敵同士だったと考えれば因縁深いですね。民族の遺伝子なのでしょう。
 侵略された側のクメール族、チャム族、モン族などの立場からいえば迷惑以外の何ものでもなくたまったものではありませんが(苦笑)。
 それにしてもインドシナ半島のダイナミックな歴史とても興味がわきました。今後研究していこうと思います。

« 三国志外伝Ⅱ  司馬一族の専横と三国の滅亡 | トップページ | 世界史英雄列伝(42) 『カール12世と大北方戦争』  前編 »

 世界史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東南アジアの民族大移動:

« 三国志外伝Ⅱ  司馬一族の専横と三国の滅亡 | トップページ | 世界史英雄列伝(42) 『カール12世と大北方戦争』  前編 »