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2014年3月 1日 (土)

ナポレオン常勝伝説Ⅰ  強さの秘密

 ナポレオン・ボナパルト(1769年~1826年)、18世紀末彗星のように登場し一時は全ヨーロッパに覇を唱えた稀代の英雄です。おそらくその名を知らない人はいないでしょう。
 
 ハプスブルクの歴史を記すうちに、本格的にナポレオンに触れなくてはならないだろうと思いました。実は本ブログを立ちあげた時の目標の一つがナポレオンについて語る事。今回ついにその夢が叶ったかと思うと感無量です。予定では『マレンゴ会戦』から始まるナポレオンのいくつかの重要な戦いをピックアップしてその生涯を眺めてみようと思っています。過去記事の『アレクサンドロス戦記』と同様の形式です。
 
 ただそれだけではナポレオンの全貌を語った事にはならないので、本編に進む前にナポレオンが何故常勝を誇ったかその秘密の一端を考えてみようと思いました。次に、無敵のナポレオンに欧州列強はどんな対抗策を用いたかについても検証します。
 
 
 本記事ではナポレオン常勝の理由を箇条書きであげましょう。
 
 
①『兵站』
 
 ルイ14世時代からフランスは毎年のように戦争し兵站の考え方も欧州で最も進んでいました。ナポレオン時代にも、補給部隊は存在しています。まず軍隊は分進行動(主力部隊をいくつかに分けること)で行軍し敵地に近いところ(予定戦場)で合流しました。これにより補給の負担をできるだけ軽くするとともに各補給部隊は4日分の食料を携行し現地調達が難しい場合に備えます。
 
 
 
②『国民軍』
 
 19世紀初頭のフランス人口は3000万から3500万。フランス革命により従来の傭兵主体から国民皆兵が実現します。その動員力はそれまでとは桁違いで、総人口3000万としても徴兵兵力210万、そのうち外征兵力90万を数えました。さらに徴兵制はフランス国民に愛国心と国防意識、責任感をもたらしたため軍隊につきものだった逃亡兵の悩みが解消されました。
 
 それまでの軍隊は兵士の逃亡を防ぐため陣形を組んで監視する必要がありましたが、フランス大陸軍は、散兵戦術という高度な戦術を採用できるようになったのです。
 
 
 
③『機動力』
 
 19世紀当時各国の軍事教範では行軍速度を1分間に70歩と決めていました。ところがナポレオンフランス軍は1分間に120歩。これは戦闘時なので常時この速度という訳には行きませんが、通常軍隊が1日に平均30km進む時、フランス軍は40km以上進めたのです。ナポレオンはしばしば速度というアドバンテージで戦いの主導権を握り勝利しました。
 
 
 
④『人事』
 
 ナポレオンは、自身が叩き上げのため実力本位で将帥を抜擢しました。平民出身の将軍も多くナポレオン軍の将軍の平均年齢40歳ともいわれています。一方各国はただ貴族であるだけで将軍に選ばれた無能な者も多く、フランス軍が圧倒できた理由の一つです。
 
 
 
⑤『戦術』
 
 ナポレオンは、上記フランス軍の利点を最大限発揮できる戦術を用いました。機動力を使って常に相手の先手を取り、敵に対応の暇を与えず決勝点(戦いの帰趨を決定する地点)に兵力を集中しました。絶対的数の優勢を理想としつつも、それができない場合は決勝点において局所優勢になるよう部隊を動かします。
 
 そのためには分進合撃で敵にこちらの目標を知らせず、自軍は決勝点で集結常に戦いの主導権を握り続け敵にそれを渡さなかったのです。
 
 
 
 
 いかがでしたか?これでは負けようがありませんよね。しかし優れた戦術は他国が真似し出すと色あせ、いつかは敗北してしまいます。次回は、ナポレオンに負けた欧州列強がどのような対抗策を用いたかについて語りましょう。

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