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2014年4月 1日 (火)

播磨戦国史Ⅰ  嘉吉の乱

 播磨国は、現在の兵庫県南部です。ただし神戸から東の尼崎、芦屋、西宮、伊丹、宝塚などは摂津国に含まれました。兵庫県北部は但馬国。兵庫県は播磨+但馬+摂津の西部で構成されています。ちなみに神戸市は播磨と摂津にまたがっており、平安時代には福原京、大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれました。江戸時代には兵庫津として知られ、1868年神戸村が開港場となって以来栄え県庁所在地となります。
 
 播磨国は、近畿に一番近い遠国で京の戦乱などからの避難地として古来多くの貴族たちが訪れました。その意味で京都の文化・情報も入りやすく山陽道ではありながら早くから栄えた土地だったと思います。もっとも大和朝廷進出前からある程度の文化は興っていた可能性もあり、兵庫県赤穂市にある大避神社など古代ロマンあふれる場所でした。大避神社の由来は、もしかしたら日本古代史の根幹に関わる秘密を持っている可能性もありますが、テーマから外れるのでこれ以上は書きません。
 
 さて播磨国です。一般に戦国時代は応仁の乱から始まったと云われます。しかし播磨に関してはそれに先立つ嘉吉の乱から戦国が始まったとも言えるでしょう。
 
 
 播磨国は、室町幕府侍所頭人(長官)を出す家柄四職家の一つ赤松氏の守護領国でした。赤松氏は、村上源氏とも云われ南北朝期足利尊氏を援け幕府創設に貢献した赤松円心入道則村の時大発展を遂げます。尊氏は円心の貢献を高く評し本国播磨の他に備前・美作(共に岡山県)の守護職を授けました。以後赤松氏は幕府の宿老として幕府内に隠然たる勢力を持ちます。
 
 嘉吉の乱は時の足利将軍義教を赤松満祐が暗殺した事件ですが、事件に至るまでには事情がありました。赤松氏は大族だけに多くの分家を生みます。その中の一つ、有馬氏は赤松氏三代則祐の五男義祐が摂津国有馬郡を賜ったのが始まりで、以後義祐の子孫は有馬氏を名乗ります。後にこの有馬氏は江戸時代筑後久留米二十一万石の大名となり没落した赤松宗家と立場が逆転します。
 
 有馬氏は、赤松庶流ながら京都に近い事もあって幕府に取り入り将軍側近となって宗家とは別の道を歩みました。足利将軍家はこの有馬氏や赤松満祐の又従兄弟赤松春日部家の持貞を寵遇し、宗家の満祐を圧迫します。一説では義教の先々代義持の時代に満祐から播磨守護職を取り上げて持貞に与える約束があったという話もあります。
 
 ただし、これは足利将軍の有力守護操縦術で山名氏も大内氏も皆この手でやられました。持貞は間もなく義持側室との密通が露見し処刑されますが、この事件以来赤松満祐は足利将軍家を信用していなかったのでしょう。
 
 五代将軍義量が早世し、くじ引きで選ばれ万人恐怖と恐れられる暴政を布いた六代将軍義教も足利将軍家伝統の守護大名圧迫策をより強力に推し進めます。斯波、畠山、山名氏ら有力守護の家督争いに介入し自分の気に入った者を当主の座に据え、そうでない者は追放しました。永享十一年(1439年)の永享の乱で鎌倉公方足利持氏を滅ぼすなど義教は彼なりに幕権強化策を行ったのだと思います。ただその政策があまりにも強引だったために人々が恐怖したのでしょう。
 
 幕府最長老となった満祐は、次は自分の番だと戦々恐々でした。性格的にも義教と満祐は合わなかったそうです。義教は背が低い満祐を事あるごとに馬鹿にし、またしても赤松庶流の貞村(持貞の甥)を寵遇し、摂津にあった満祐の弟義雅の所領を取り上げ貞村に与えます。このままでは赤松宗家が滅ぼされると満祐は恐怖した事でしょう。
 
 満祐は、自ら狂人の振りをしてそれを世間に噂として流し、隠居します。嘉吉元年(1441年)6月24日、満祐の子教康は将軍を「結城合戦の祝勝の宴として松囃子(赤松囃子・赤松氏伝統の演能)を献上したい」と称し自邸に招きました。義教はこれを赤松屈服の証として上機嫌で出かけました。ところが宴たけなわの中、突如屋敷の門が閉じられます。
 
 宴を裏で指揮していた満祐は、甲冑で武装した家来たちを呼び寄せ宴席に斬りかからせました。血の海の中、義教は討ち取られます。ご相伴していた山名熙貴惨殺、京極高数と大内持世は重傷を負い後死亡しました。将軍義教の首を抱えた満祐は、屋敷を焼き払って本国播磨に帰ります。今後やってくるであろう幕府追討軍に備えるためです。
 
 次回は、幕府の大軍と戦った赤松氏の滅亡、そして再興を描きます。

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