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2014年7月 3日 (木)

二人の提督の戦後

 戦記ファンにはおなじみの小沢治三郎と栗田健男。小沢は早くから航空主兵を唱えアウトレンジ戦法を編み出すも、マリアナ沖海戦では搭乗員の練度不足、航空機の性能不足もあって米軍に完敗。マリアナ沖の七面鳥撃ちと揶揄されるほどでした。ついで日本の命運を完全に決定付けたともいえるレイテ沖海戦では、なけなしの空母艦隊を率い見事ハルゼー機動部隊を北方釣り上げに成功するも、主攻であった栗田の第2艦隊がマッカーサーの大輸送船団が待つレイテ湾に突入せず謎の反転をしたために作戦は失敗、南方との海上連絡線を断たれた日本は以後敗戦へと坂道を転げ落ちるばかりになります。
 
 二人とも、戦後は沈黙を保ちました。彼らを批判し愚将と断ずる者も多かったとか。とくに栗田に対するバッシングには目に余るものがありました。例えば半藤一利は秦郁彦らとの座談会で栗田を愚将と断じ軽侮の姿勢を見せ、さすがにこれは秦にたしなめられたそうですが、戦後ジャーナリズムの旧帝国軍人に対する態度はえてしてこのようなものでした。
 
 インパール作戦で補給を無視して突進し壊滅的被害を出した牟田口や、比島決戦で部下を特攻に送りだしながら自分は偽造の診断書までつくって台湾に逃亡した卑怯者の富永らは非難されてもしかたありますまい。しかし、小沢や栗田の場合わざと負けたのではなく当時として精一杯の働きをして負けたのだと私は思います。
 
 ここに一つのエピソードがあります。昭和41年、死の床にあった小沢を見舞った栗田に対し、小沢は栗田の手を握り締めただ涙を流すだけだったとか。そして最後に絞り出すように「あの戦争は戦った者だけにしか分からない」と言ったそうです。栗田もただ頷くだけでした。
 
 栗田もまた、どのような批判にも反論一つせず死ぬまで沈黙を保ちます。戦争で散っていた部下たちの事を思うと軽々しい事は言えないと自戒していたのでしょう。戦争も知らない連中が、たらればで偉そうに語る態度とどちらが立派でしょうか?
 
 
 
 最後にこのエピソードを紹介して筆を置きます。小沢の死を伝え聞いた元アメリカ太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ元帥は
「勝った指揮官は名将で、負けた指揮官は愚将だというのは、ジャーナリズムの評価にすぎない。指揮官の成果は、むしろ、彼が持つ可能性にある。敗将といえども、彼に可能性が認められる限り名将である。オザワ提督の場合、その記録は敗北の連続だが、その敗北の中に恐るべき可能性をうかがわせている。おそらく部下は、彼の下で働くのを喜んだにちがいない」
と語りました。
 
 名将を理解できるのは名将だけ。ニミッツの言葉がすべてを物語っています。

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