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2014年11月 1日 (土)

沖縄戦に関する個人的感想

 今回のシュガーローフの戦いの記事で沖縄戦三部作は一応完結しました。
 まず「異端の参謀八原博通と反斜面陣地」
の記事で、第32軍の基本的な戦術を考察し、次に「反斜面陣地の実戦例 沖縄戦嘉数の戦闘」
で、第一線陣地における第32軍の戦いを描きました。
 「沖縄戦シュガーローフの戦い」
では、第32軍最後の戦いと終焉を記す事ができました。
 一般の方には反応が薄いと思いますが、沖縄戦となると反日左翼の書いた日本軍悪玉説を強調する本(太田昌秀の本などその典型)ばかりで、沖縄を守るために戦って散っていた第32軍が、あたかも多くの無実の沖縄県民を虐殺したという酷い描かれ方でした。あまりにも英霊を侮辱する連中に義憤を感じたのが今回の執筆動機です。独りよがりかもしれませんが、私の中では沖縄戦で散って行った英霊の皆さんの鎮魂になったのではないかと自負しています。
 
 特に今回のシュガーローフの戦いに参加した独立混成第44旅団は編成地が我が地元熊本なんです。同郷人がこの地に多く眠っているかと考えるとどうしても書かざるをえませんでした。幸いにして、わが親族は祖父の兄弟、祖母の兄弟とも第6師団(チモールで終戦)、近衛第2師団(スマトラで終戦)、第56師団(ビルマ南部で終戦)、海軍潜水艦兵(戦没地不明)と沖縄とは関係ありませんが、おそらく地元には沖縄で散った方も多いと思います。
 もともと第32軍は、第9師団、第24師団、第62師団、独立混成第44旅団を隷下に持ち十分な兵力で防衛する予定でした。ところが台湾沖航空戦の戦果誤認からレイテ決戦を強行した大本営によってまず台湾の師団がレイテに抽出され、次に兵力が手薄になった台湾の穴埋めに沖縄の第9師団を台湾に抽出するという間違った決定を大本営は下します。
 大本営の泥縄の戦争指導によって沖縄の第32軍は不十分な戦力で防衛戦を行わなければなりませんでした。最精鋭の第9師団は、対ソ戦を想定し十分な武器弾薬を有した強力な師団です。第32軍の作戦を立案する八原参謀は当初第9師団を機動打撃力とする作戦構想を練っていたとされます。ところが兵力削減で作戦を根本から練り直さなければなりませんでした。
 これでは到底勝利は望めません。八原参謀は、勝てないのなら徹底的な持久戦闘によって米軍の本土侵攻を遅らせる事を考えます。それが反斜面陣地による作戦でした。ただ、持久戦は沖縄県民の犠牲が増大することから第32軍は船による本土への疎開を計画します。ところが対馬丸撃沈によって不可能になり、次善の策として沖縄本島北部への県民避難を考えたのです。しかし、軍に絶対の信頼を寄せる県民は軍と共に南に退く事を選択しました。これが沖縄戦の悲劇へと繋がります。
 大本営がもし責任を感じるなら、沖縄県民の避難を第32軍任せにせず自ら率先して避難誘導べきでした。それをしないばかりか、反斜面陣地戦法を第32軍の消極的戦闘と決めつけ総攻撃を強要するのですから始末に負えません。第32軍は大本営の無責任体質の犠牲者だったと言えます。
 そんな絶望的な状況の中、第32軍は精一杯戦ったと思います。海軍根拠地隊の大田実少将も同様です。沖縄県民もまた民兵として動員され、婦女子は看護兵として郷土を守るために力の限り戦いました。
 大田少将の「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」は、彼らの本音だと思います。そして同時に沖縄で散って行った英霊の皆さんの家族、故郷もまた、格別の御高配を賜らなければならないのです。
 日本の国土を守るために戦って散って行った英霊の皆さんに深く感謝するとともに、心より御冥福を祈りたいと思います。そしてできるなら硫黄島と同様、沖縄の地に未だに眠っている御遺骨を故郷に帰してあげたいと考えています。

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