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2015年2月 2日 (月)

シャルル8世  ルネサンスを終わらせた男

 ルネサンス、文芸復興とも訳されだいたい14世紀から16世紀にわたりイタリアを中心に栄えた文化です。中世の暗黒時代を終わらせ近代へ繋がる重要な時代と目されていますが、それがいつ終わったかは諸説あります。ただ私はフランス王シャルル8世のイタリア侵入がルネサンスに止めを刺したと解釈しています。
 
 ルネサンス自体はその後も続きますが、それは余喘にすぎず文化の中心であったイタリア半島は混乱と衰退を続け1866年のサルディニア・ピエモンテ王国による統一まで世界史の舞台に躍り出る事はありませんでした。ルネサンス衰退の外形的要因としては大航海時代の到来によりヴェネツィア、ジェノヴァなどが独占していた東方貿易が衰退しイベリア半島のスペイン、ポルトガルが世界貿易に乗り出した事があげられます。それと同時にフランス軍のイタリア侵入にはじまるイタリア戦争でフランス王国、神聖ローマ帝国、スペインなど列強が介入しイタリア半島を舞台に勢力争いを始めた事も大きな要因になったと考えるのです。
 では、その原因を作ったシャルル8世(在位1483年~1498年)とはどのような人物だったのでしょうか。彼は百年戦争を勝利した有名なシャルル7世の孫にあたります。百年戦争の勝利によってフランスを統一したシャルル7世とその子ルイ11世(シャルル8世の父)の時代、国力を充実させ中央集権・絶対王政の端緒を築いたフランス王国は、百年戦争後期に登場した常備軍を拡充させ一躍欧州列強の主役に躍り出ました。
 面積ではそれほどでなくとも、百年戦争末期すでに人口1200万を数えたフランスは欧州の超大国でした。同時期のイングランド(ウェールズ、スコットランドを除く)が人口250万だった事を考えるとどれほど巨大であったか分かります。同じ頃のドイツがおそらく推定800万人前後だった事を考えてもフランスの大きさが理解できるでしょう。しかもドイツは統一さえしていませんでした。
 1483年父ルイ11世の死去により13歳で即位したシャルル8世が何故イタリア介入戦争を始めたかですが、その発端はナポリ王フェルディナンド1世とローマ教皇インノケンティウス8世の対立でした。教皇はナポリ王を破門しナポリ王の縁者だったシャルルをナポリ国王として推薦します。しかしフェルディナンド1世はこれを拒否し息子アルフォンソ2世に王位を譲って病没しました。
 無視されたシャルル8世が不満を持っていたところ渡りに船の出来事が起こります。イタリア北部ミラノ公国でもお家騒動が勃発したのです。前ミラノ公の叔父で公国の実権を握っていたルドヴィーコ・スフォルツァは失脚を恐れフランス国王シャルル8世に接近します。ミラノ公国の通行権を得たシャルル8世は、インノケンテイウス8世に代わっていた教皇アレクサンデル6世が反フランスの姿勢を見せている事にも怒り、自分の息のかかったユリウス2世を即位させる目的も持っていました。
 シャルル8世は、1494年10月前教皇のナポリ王推薦状を大義名分に大軍をもってアルプスを越えました。この時の兵力は諸説あります。一番多い説だと騎兵2万4千、歩兵2万2千、これにミラノ公国の援軍6千を加えて5万2千。フランスの人口を考えるとこれくらいの軍を動員することは可能ですが、当時の兵站能力を考慮すると2万前後というのが妥当な数字でしょう。フランス兵1万7千、これにスイス人傭兵8千を加えて総計2万5千くらいであったと考えます。
 それまで都市が雇った雑多な装備の傭兵しか見た事のなかったイタリア人はマスケット銃隊、弓隊、砲兵隊、精鋭をもってなるガスコーニュ騎兵隊で構成され整然と行動するフランス正規軍を見て驚愕しました。フランスの大軍はイタリア半島を破竹の勢いで進撃します。ルネサンスの中心都市であったフィレンツェでさえ一戦も交えず降伏しました。
 当時25歳だったマキャべリは、フランス軍が祖国フィレンツェを蹂躙する姿を見ていたと思います。イタリアが統一せず小国同士小さな争いを繰り返していた事がフランスの侵略を招いたと考えたマキャべリは、このままではイタリアが滅ぶと云う危機感から有名な君主論・政略論を記しました。
 1495年2月、フランス軍は教皇領を制圧しナポリ王国に達します。アルフォンソ2世の後を継いでいた弟フェルディナンド2世は抵抗を試みるも鎧袖一触、またたくまに重要拠点を奪われ敗退しました。フランス軍はそのままナポリに居座ります。しかし、此処まで外国人であるフランス軍に好き勝手にされると多くのイタリア人が怒りました。
 まず、フランス軍の被害を直接受けていなかったヴェネツィア共和国が立ち上がります。ヴェネツィアは教皇アレクサンデル6世やフランス軍に攻め込まれていたナポリ王フェルディナンド2世と連絡を取りました。フェルディナンド2世は、親族であったカスティリア・アラゴン王フェルナンド2世と同盟を結びます。アラゴンの援軍を得たナポリ軍はシチリア島から進軍し占領軍として軍規の緩みきっていたフランス軍を撃破しナポリを奪回しました。
 これを見て、フィレンツェなどフランス軍に制圧されていたイタリア諸都市と諸侯たちが立ち上がり、神聖ローマ帝国やスペイン王国を盟主とする対仏大同盟(神聖同盟、ヴェネツィア同盟)を結びます。1495年3月の出来事でした。この中にはフランスを引き入れた張本人ミラノ公国のルドヴィーコ・スフォルツァさえも加わっていました。完全な裏切りです。
 退路を断たれたフランス軍は、慌てて帰途につきますがミラノ近郊で連合軍に捕捉されます。フォルノーヴォで激突した両軍でしたが豊かなイタリアで贅沢に慣れ軍規が弛緩しきっていたフランス軍に勝ち目はありませんでした。甚大な損害を出して敗北したシャルル8世はほうほうの態でフランスに逃げ帰ります。イタリア遠征は何ら得るものはなく莫大な借金ばかりをフランスに残しました。しかも1498年シャルル8世はうっかり鴨居に頭を打ち付けると云う事故を起こし、それが原因で死去します。
 シャルル8世に嫡子がいなかったためサリカ法典で傍系のオルレアン公ルイが即位します。すなわちルイ12世(在位1498年~1515年)です。ヴァロワ朝の直系はシャルル8世で断絶しルイ12世の治世はヴァロワ=オルレアン朝と呼ばれます。さらにルイ12世も子がいなかったため傍系のフランソワ1世が継承しました。これ以後がヴァロワ=アングレーム朝です。
 さて、シャルル8世の侵略を撃退したイタリアでしたが統一勢力が生まれることはなく相変わらず小国同士が勢力争いを続けました。そしてこれがフランス、神聖ローマ帝国、スペインという列強の介入を招きます。まさにマキャべリの予言通りになったのです。民族の団結がいかに大切か良く分かる歴史ですね。

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