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2015年2月 2日 (月)

ユグノー戦争Ⅰ  ユグノーの誕生

 16世紀から17世紀にかけてヨーロッパでは宗教改革の嵐が吹き荒れていました。それは30年戦争という大きな影響をドイツに与えるのですが、フランス、イギリス、オランダという欧州列強にも深い爪痕を残します。オランダ独立戦争、イギリスの清教徒(ピューリタン)革命、フランスでもユグノー戦争という宗教戦争が起こりヴァロワ朝は断絶し勝ち残ったアンリ・ド・ブルボンが即位しブルボン朝を創始しました。すなわちアンリ4世です。
 フランスの歴史を大きく動かしたユグノー戦争をヴァロワ朝ブルボン朝の動きと宗教戦争の側面から描こうと思います。まずはそもそもユグノーとは何か?です。
 ユグノーというのはフランスにおける新教徒(プロテスタント)のことです。ユグノーの語源については諸説あってはっきりしません。ただイギリスの清教徒、オランダの独立派と同じくカルヴァン派だと云う事に注目する必要があります。
 宗教改革とは御存じの通り、ドイツのマルティン・ルターが腐敗したローマ教皇庁に対し95カ条の論題を示し免罪符商法を批判したことがきっかけでしたが、じつはそれ以前にも宗教改革の先駆者がおり、有名な人としてイギリスのウィクリフやそれに影響を受けたボヘミア(現チェコ)のフスらが挙げられます。とくにフスの影響は強くフス戦争という内乱まで起こっています。
 ルター以降の改革者は少なからず彼の影響を受けているのですが、その中にフランス出身のジャン・カルヴァン(1509年~1564年)という人物がいました。ルターが教皇庁を中心とする教会支配を否定しキリスト教信者それぞれが聖書の教えに従い司祭になるべきだしそれによって救われる(聖書中心主義)と説いたのに対し、カルヴァンはより急進的に「人間の本性は決まっており、それによって神に救われるかどうかあらかじめ決まっている」という予定説を唱えます。
 またカルヴァンは、労働は尊くそれによって得た報酬は正当であると唱えそれまで報酬を得る事を卑しんでいたカトリックの考え方と真っ向から対立します。プロテスタントとは「抗議」という意味ですが、ルターの思想が農民たちに支持されドイツを中心に北欧に広がったのに対し、カルヴァン派は商工業者から支持されイギリス、フランス、オランダなどに広がりました。ですからこの国々にカルヴァン派が多いのは当然でした。
 ルター派より過激な思想を唱えるカルヴァン派は、ローマ教皇の権威を利用して統治していたフランス王室にとっては邪魔以外の何物でもありませんでした。当然カルヴァンは追放されます。フスのように宗教裁判を受け処刑(異端者は火刑)されなかったのはカルヴァン派がフランス国内にかなり浸透していたからではないかと思います。後のユグノー戦争の時代ですが、一説によると全フランス人口(推定1600万~1800万人)のうち6分の1を占めていたのではないかとも言われます。もしカルヴァンを処刑していれば、その時点でフス戦争のような大規模な内乱が起こっていたはずです。
 祖国を追放されたカルヴァンは、スイスのジュネーヴに落ち着きます。この地のカルヴァン派の有力者が招いたのですが、彼はジュネーヴをカルバン派の聖地にすべく反対派を弾圧しました。カルヴァン派は市の要職を占めそれに反抗する者は殺されるか追放されました。同じ新教徒でもカルヴァンに異を唱えたセルヴェは捕えられ焼き殺されました。セルヴェ処刑はカルヴァン生涯の汚点となります。過激思想が結局粛清の嵐となるのは歴史の常なのでしょう。
 厳格ないや恐怖政治といってもよいでしょう。ジュネーブの恐怖政治は1564年カルヴァンの死と共に終わります。しかしジュネーブはカルヴァンによってプロテスタントのローマと呼ばれるまでになりました。この地で学んだカルヴァン派は西ヨーロッパ各地に戻りカルヴァンの考え方を広めます。
 現世利益をとなえるカルヴァン派は燎原之火の如く拡大しました。フランスももちろん例外ではありません。最初フランス国王アンリ2世(ヴァロワ朝10代、ヴァロワ・アングレーム朝では2代、在位1519年~1559年)はこの動きを軽視していました。ところがカルヴァン派は支持者を広げ貴族たちの中にも新教に改宗する者が増えた事から次第に危機感を募らせます。
 当時フランスでは貴族間に大きな対立があり、一部の貴族の新教改宗は宗派の勢力を利用しようとする意図があったとも言われています。旧教(カトリック)勢力はフランス最大の貴族であるギーズ公が率いました。一方新教側は王室の傍系で当時ナバル王にもなっていたブルボン家とコリニー提督が旗頭でした。
 次回は、ユグノー戦争に至るまでのフランスの状況について語ります。

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