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2015年2月 2日 (月)

ユグノー戦争Ⅳ  三アンリの戦い

 摂政王太后カトリーヌ・ド・メディシスがなぜ末娘マルグリットを政敵であるユグノー側の盟主ナバラ王アンリ(ナバラ王としてはエンリケ3世)に嫁がせたかですが、一つはカトリックとユグノーの融和を図ったという見方で間違いないでしょう。ただし直後に聖バルテルミーの大虐殺が起こりそれにカトリーヌの関与が濃厚である以上この説は怪しくなります。
 もう一つの理由としては、ノストラダムスの予言によってヴァロワ朝の断絶を覚悟したカトリーヌが、次のフランス王になると噂されたナバラ王アンリと娘マルグリットの間に息子ができれば女系で王統をつなぐ事が出来ると考えたのではないかと思います。
 しかし、母の希望は肝心のマルグリットの行動によって無残に打ち砕かれました。マルグリットは夫となったナバラ王アンリと同年の1553年生まれ。アレクサンドル・デュマの歴史小説『王妃マルゴ』で有名な彼女ですが、奔放な性格だったらしく生涯に50人の愛人がいたと言われています。これは夫のアンリも同様でこちらも同じく50人の愛人。しかもマルグリットの前の愛人はこともあろうにカトリック側の盟主ギーズ公アンリ。
 夫婦仲は最初から冷え切っていたと思います。ただナバラ王アンリは、望まぬ結婚であるからといってすぐ離婚することはしませんでした。利用価値のある間は…。ギーズ公はなんといってもフランス王国の陸軍総司令官として強大な軍事力を握っていました。さらにカトリック教徒の多い首都パリ市民の絶大な支持もあったのです。当時の都市は、防衛するための民兵を持ち特にパリのような大都市は傭兵を雇ってマスケット銃や大砲で武装していました。へたな諸侯の軍など簡単に粉砕できるほどの軍事力を持っていたのです。
 ユグノー(カルヴァン派プロテスタント)はフランス全人口の6分の1しかいません。カトリック信者が農民中心だったのに対し、ユグノー側には商工業者という財力を持った市民が多かったとはいえ劣勢は否めませんでした。ナバラ王アンリにとってフランス王室はカトリックで現在は敵でしたがどんな細い糸でも繋がっておくことは政略上得策だったのです。
 ここで三アンリの最後の一人、アンリ3世(1551年~1589年)に登場してもらいましょう。アンリ3世はアンリ2世の四男です。幼少期から読書を好み生母カトリーヌからは最も溺愛されました。彼の幼少期の学友がギーズ公アンリとナバラ王アンリだった事は前に書きました。普通ならフランス王位を継ぐことはできないはずでした。そのためポーランドでヤギュウォー朝が断絶しポーランド貴族たちによって次期国王に選出されると送り出されることとなります。
 彼は兄であるフランス国王シャルル9世が結核を悪化させていたため、ポーランドには行きたくなかったといわれています。しかしポーランド使節団から促されて渋々出国、1574年即位しました。が、結局はポーランド貴族たちの傀儡に過ぎませんでした。実権のまったくないお飾りの王位に嫌気がさしたアンリはフランスから連れてきた側近たちとしか交流しなかったと伝えられます。これがますますポーランド人の反発を買います。
 そんな中、1574年ポーランドの首都クラコフにフランス王シャルル9世が崩御したと云う知らせが入ります。シャルル9世崩御が5月30日。ポーランドに知らせが届いたのは6月14日でした。6月18日深夜アンリは側近だけを伴ってポーランド王宮を脱出します。国王逃亡という前代未聞の大事件にポーランド貴族は驚きました。早速ポーランドからは帰国要請が出されますがアンリの決意は固く、結局アンリのポーランド王位は1575年5月失効します。ただしアンリは死ぬまでポーランド王の称号を名乗っていたそうです。
 こうして兄の死を受けフランス国王に即位したアンリ3世(在位1574年~1589年)でしたが、実権は強大な軍事力を持つギーズ公アンリに握られたままでした。王室がカトリックを擁護しそのカトリック側の盟主がギーズ公だっただけに仕方ない事でした。しかもギーズ公はカトリック信者が多い首都パリ市の絶大な支持を受けていました。
 実子のないアンリ3世に対し、次のフランス国王の最有力候補はギーズ公だったのです。ギーズ公の家系がスコットランド王家と繋がりありフランス王室にもフランソワ2世の正室をギーズ家から出すなど有力な貴族だった事は前に書きました。血統的にはナバラ王アンリにも王位継承の権利はありましたが、なんといってもユグノーであったことからカトリック側は忌避していました。
 ユグノー戦争は宗教戦争から次第に王継承争いへと移行します。1584年筆頭王位継承者でアンリ3世の弟アンジュー公フランソワが亡くなりました。サリカ法典によって筆頭王位継承権はユグノーのナバラ王アンリに移ります。カトリック側はこれに反発し、パリ市民などが中心になりギーズ公を奉じて蜂起しました。カトリック側は国王アンリ3世に圧力をかけナバラ王アンリの王位継承権を剥奪させます。これは次の王にギーズ公が就くという暗黙の了解でした。
 さすがのアンリ3世も、カトリック側の横暴に怒りを爆発させます。国王を蔑ろにする態度はあまりにも酷いものでした。国王アンリ3世と王位継承権を剥奪されたナバラ王アンリが接近したのは自然だったといえます。もともと国王はカトリックとユグノーの融和を図り内戦を終結させようと考えていました。その点でもカトリック側は国王に反感を抱きます。
 カトリック同盟はローマ教皇庁と結びつきギーズ公をフランス王位に就ける陰謀を巡らせました。ギーズ公の野心に気付いたアンリ3世は、1588年ギーズ公のパリ入城を禁じます。ところがそれに怒ったパリ市民が蜂起して逆に国王をパリから追放しました。アンリ3世はシャルトルに逃亡します。市民に迎えられパリに入ったギーズ公は三部会を招集し王権の制限を議論し始めました。さながらギーズ公が新しい国王になったようでした。これに危機感を抱いたアンリ3世は、和解すると称してギーズ公とその弟ギーズ枢機卿を呼び寄せ暗殺してしまいます。
 激高したパリ市民とカトリック同盟は、アンリ3世を王と認めないと宣言しました。そしてギーズ公の弟マイエンヌ公をカトリック同盟の新しい指導者に迎えます。フランスはこの時完全に分裂したのです。ヴァロワ朝フランス王国はこの後どうなっていくのでしょう?アンリ3世の良く末は?そして不気味な沈黙を守るナバラ王アンリはどういう行動を起こすのか?
 次回、最終章ナントの勅令にご期待ください。

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