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2016年2月 5日 (金)

ドイツの戦争Ⅴ  バトルオブブリテン

 フランス作戦成功の後、当然ドイツ軍はイギリス侵攻作戦を計画しました。作戦名は「ゼーレ―ヴェ(あしか)」。陸続きのフランスは陸軍が領土を占領すれば勝てますが、島国のイギリスは周囲が海であるため上陸するにもまずイギリス海軍をなんとかしなければいけません。ところが、イギリス海軍は世界三大海軍国(他は日米)の一角で欧州最強。誕生したばかりの新生ドイツ海軍では勝負になりませんでした。
 ヒトラーもこの弱点は承知しており、イギリスに和平を打診しますがナチスと妥協するつもりが一切ないチャーチル首相に一蹴されます。ドイツ軍が採った作戦は、どうせ海軍で敵わないなら上陸するため一時的にドーバー海峡の制海権を奪えば良い。そのためには航空攻撃でイギリス本土を空爆し弱らせ制空権を握れば、ド―バー上空の制海権も同時に取れるのではないかと考えたのです。
 1940年7月16日ゼーレーヴェ作戦前段階の航空作戦が開始されます。ドイツ空軍は第2航空軍(ケッセルリンク元帥)、第3航空軍(シュペルレ元帥)、第5航空軍(シュトンプ上級大将)をフランス、オランダ、ベルギー、ノルウェー沿岸に終結させました。その兵力は合わせて戦闘機1000機、爆撃機1600機。これに対しイギリスは戦闘機52個中隊900機を動員します。数の上では劣勢でしたが、イギリスには新技術のレーダーがありました。
 イギリスは、南部にレーダー基地を多数設けそこで集めた情報を情報解析室に送り作戦室で総合的な迎撃作戦を策定し各航空基地に命令するという近代的で効率的な防空システムを作り上げていました。イギリスの強みは、こういう新技術を取り入れるのが上手いところです。どうしようもない旧式なシステムを使い続ける半面新しい技術に対しても即座にそして有効的に対応できるのはアングロサクソンの民族的に優れたところでしょうか?
 当時のドイツ空軍の主力戦闘機はメッサーシュミットMe109E型。一方イギリス空軍の主力戦闘機はスーパーマリン・スピットファイアMkⅠ。独英を代表する名戦闘機で総合能力は互角。ただ敵本土にドーバー海峡を渡って侵攻しなければならないMe109の方が不利でした。欧州の機体は航続距離が短いという欠点があります。これは陸続きの欧州では長大な航続距離を必要としない事が理由でした。
 空爆の主役であるハインケルHe111、ドルニエDo17、ユンカースJu88の各爆撃機は十分な戦闘機のエスコートを受けられません。Me109Eは、イギリス上空で30分しか空戦時間が無かったそうです。一応、ドイツにも長距離戦闘機のメッサーシュミットMe110がありましたが、双発で鈍重な機体は逆にMe109の護衛を受けなければならないという本末転倒の結果になります。
 イギリス空軍は俊敏なスピットファイアがMe109の相手をし、やや旧式のホーカー・ハリケーンが爆撃機を攻撃するという二段構えでドイツ空軍を待ち受けます。レーダー防空システムでこれを効率的にやられればドイツ空軍は手も足も出ません。空爆でロンドン始めイギリス南部に大きな損害を与えるも、ドイツ空軍の損害もまた増大し続けます。
 バトルオブブリテン(イギリス本土の戦い)の本格的な開始は7月末。8月13日には「鷲の日」と呼ばれるドイツ空軍の1000機を超える大襲撃が行われました。8月末にはドイツ空軍がほぼ制空権を握ります。この時は、ドイツ空軍の目標が敵の航空基地とレーダー基地だったためイギリス空軍は苦境に陥ります。ところが、ヒトラーは制空権掌握に気を良くしイギリスを完全に屈服させるために爆撃目標をロンドンなどの都市に変更させました。
 確かにイギリス国民への心理的圧力にはなったと思いますが、この目標変更はイギリス空軍に一息つかせるには十分でした。盛り返したイギリス空軍の反撃によって、ドイツ空軍は損害を増大させます。9月10日までにドイツ空軍は1000機という膨大な航空機を喪失しました。これはドイツ空軍にとって耐えられない数字です。
 イギリス上陸のアシカ作戦は9月10日の予定でしたが、実行不可能となり延期されました。昼間爆撃も損害の方が大きく夜間爆撃に切り替えられます。爆撃自体は1941年5月まで続けられますが、大勢は覆らず実質的に中止されました。以後は逆にアメリカ参戦で戦力増強された連合軍によるドイツ本土空爆に苦しめられる事になります。米軍機は欧州機と違って太平洋での戦闘を想定しているため航続距離が長大で爆撃機の護衛も十分にできました。
 
 しかもドイツのMe110と違って、単発戦闘機とも互角以上に戦えるロッキードP-38ライトニングという双発の優秀な戦闘爆撃機がありました。P-38は同じく戦闘爆撃機のリパブリックP-47サンダーボルトと共に「ヤーボ(Jabo)【戦闘爆撃の事】」と呼ばれ恐れられます。ドイツ軍も1941年8月新鋭のフォッケウルフFw190戦闘機を投入し一時的には制空権を奪い返しますが、長くは続きませんでした。
 ヒトラーは、イギリスを屈服させられないままソ連侵攻へと突き進みます。しかし米英連合軍は着々と反撃の機会を狙っていました。まずは北アフリカで、次いでイタリア半島で、そして1944年6月6日ノルマンディ上陸作戦へと向かうのです。
 次回は、ソ連への本格的侵攻である『バルバロッサ作戦』を描きます。

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