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2016年9月 2日 (金)

日野富子の収入と織田弾正忠家の収入

 前記事『清洲三奉行と織田信秀』で、ある方から日野富子の収入の話が出ました。私はろくに調べもせず勘で津島湊の関税の方が桁違いに多いと返したんですが、本当にそうか気になりました。

 本記事はそれに関する調査と推定で、大した内容でもないので興味の無い方はスルーをお願いします。
 さて、日野富子といえば私はNHK大河ドラマ『花の乱』の三田佳子♪一般受けはしなかったようですが、配役といい(野村萬斎の細川勝元は特に良かった!!!山名宗全も萬屋錦之介だし)、内容といい近年の糞大河とは比べるのも失礼な最高傑作の一つだと評価しています。
 その日野富子、夫がだらしない無能将軍足利義政だったため苦労したようですね。有力守護を統制するどころか逆にいいように操られ結局応仁の乱という未曽有な戦乱を招きました。足利将軍家は直轄領が少なく有力守護大名のバランスの上に立っていたので、それが崩れれば衰退するのは当然でした。
 
 富子は斜陽の足利家を支えるために、御領所(富子の直轄領)からの年貢、大名間の裁判で有利に進めるための礼銭(ぶっちゃけ賄賂ですな)、京都に入る街道上に設けた関所の通行税、さらにはそれを元手にした高利貸しで莫大な財産を築きます。
 その遺産は七万貫(現代の貨幣価値で70億円ほど)だったそうです。もちろん生前にかなり使っていたでしょうから稼いだ総額ではないと思います。
 一方、津島湊を支配した織田弾正忠信秀。記録によると伊勢神宮修理費で七百貫、朝廷禁裏修理費で四千貫ポンと差し出すくらいでした。これは余裕が無ければできません。少なくともその10倍は年収が無ければこんな大金出さないでしょう。最低でも七千貫から四万貫くらいは税収があったはず。
 過去記事でも考察しましたが、津島関税収入と年貢で最大五千の傭兵を数年間動かせるくらいの財力は持っていたと推定しています。尾張は太閤検地で57万石。単純計算で清洲織田家の下四郡が半分の石高として29万石。そのうち信秀の勢力圏が半分としても14万石~15万石くらいはあったはずなのです。(那古野、古渡、末森領を加えればもっとか?)
 やはり結論としては、日野富子の財力より織田信秀の財力の方が桁が違ったと判断して良いような気がします。信長時代初期の鉄砲隊五百というのも莫大な財産が無ければ編成できません。年貢収入のみだとかなりきつい。当時の鉄砲はとても高価でしたから。全盛期の武田家でさえ鉄砲隊は五百もいなかったように思います。だから騎馬を多用したんだし…。間違ってたら教えてくださいね。
 日野富子の財産形成術は関所に代表されるように収奪、一方織田家の財産形成術は後の楽市楽座に繋がる流通支配。関所など廃止して商業を振興した方が良い。経済に関する考え方が根本的に違っていたのでしょう。皆さんはどう思われますか?

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