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2016年9月 2日 (金)

尾張織田氏の台頭 (後編)

 斯波武衛家(嫡流)第九代当主斯波義建(1435年~1452年)は若年で家督を継いだため、一族越前大野斯波氏の持種と執事甲斐常春の後見を受けていました。持種と甲斐常春は斯波武衛家の主導権を争い暗殺騒ぎまで起こします。そんな中、義建はわずか18歳で世を去りました。
 義建の晩年(といっても18歳だが)、持種の子義敏を養子に迎えます。義建の死で斯波武衛家の嫡流は絶えたのですが、家督を継承した斯波義敏(1435年~1508年)は養子というより義建と年齢がほとんど変わらなかったため、執事甲斐氏(越前守護代も兼任)との対立はますます先鋭化しました。三管領家の一つ斯波家のごたごたを見て、足利八代将軍義政は義敏の家督を廃し同じ足利一門渋川義鏡(よしかね)の子義廉に斯波家督を継がせました。これには甲斐氏勢力の暗躍があったのは言うまでもありません。
 ところが義政は、寛正六年(1465年)義敏側の運動が功を奏し赦免してしまうのです。これは将軍義政の有力守護勢力削減策だったのかもしれませんが、同じ三管領家畠山氏の家督争いとともに応仁の乱の原因となります。この頃の尾張守護代は義廉派の織田伊勢守敏広でした。
 畠山氏の家督争い、そして斯波武衛家の家督争いに将軍家跡目争い(義政の子義尚と義政の弟義視)まで加わって応仁元年(1467年)ついに応仁の乱が勃発します。これも直接の引き金は、その前年将軍義政が突如斯波氏家督を義廉から取り上げ義敏に再び与えた事でした。さらに義敏には尾張・越前・遠江の守護職まで与えられます。家督とすべての守護領国を奪われた義廉は怒ります。そして義廉と姻戚関係にあった有力守護山名宗全も激高しました。
 足利義政の無能ぶりには溜息しか出ません。いくら有力守護の勢力を削ぐにしてももっと上手い方法がいくらでもあったはず。もっともやってはならぬ方法を犯したのですから争いにならない方が不思議でした。おそらく義政はそこまで深く考えて行動したのではなかったかもしれません。
 時の幕府管領は細川勝元でした。もともと宗全と勝元は対立していたわけですから、この両者を総大将にして天下を二分する応仁の大乱が起こるのです。これまでの経緯から義廉は当然山名方(西軍)に付きます。義廉と対立する義敏は細川方(東軍)に味方しました。
 義廉、義敏両派は京都のみならず領国の尾張、越前でも激しく戦います。この間、斯波氏が一時守護をしていた遠江は完全に駿河の今川氏に奪われました。もともと遠江は今川氏の守護領国で今川一門や被官も多かったので当然の結果だったとも言えます。これで斯波氏の守護領国は尾張・越前のみとなりました。
 応仁の乱は泥沼となり、決着がつかぬまま文明九年(1477年)有耶無耶のうちに終息します。ところが斯波氏にとっては激変となりました。東軍細川勝元は、西軍斯波義廉の有力武将朝倉孝景(1428年~1481年)を調略し、寝返らせ越前守護代職を与えるのです。孝景は、対立していた斯波家執事甲斐敏光(常春の子)と合戦して叩き出し、越前を完全に領国化します。これが戦国大名朝倉氏の始まりでした。さらに朝倉孝景には越前守護職も与えられます。
 これで斯波氏は尾張一国だけとなりました。その尾張も義廉方と義敏方が鋭く対立します。この頃東軍尾張守護は義敏の子義良(よしすけ)に代わっていました。義良と守護代織田大和守敏定は清洲(清須)城に籠ります。一方西軍守護義廉と守護代織田伊勢守敏広は岩倉城に拠りました。義廉方には美濃守護代斎藤妙椿(みょうちん)が加勢します。
 文明十一年(1479年)尾張においてもようやく和睦が成立します。これにより尾張上四郡(葉栗、丹羽、中島、春日井)守護代職を伊勢守敏広が持ち、下四郡(海東、海西、知多、愛智)守護代職を大和守敏定が貰いました。この頃、斯波義廉や義良は守護代織田氏の傀儡となっており完全に力を失います。義廉はその消息すら不明になり、一応義良の子孫が斯波武衛家家督を継承しました。
 以後上四郡守護代織田伊勢守家と下四郡守護代織田大和守家による尾張分割支配が成立します。敏広と敏定は従兄弟同士だと言われます。本来の嫡流は伊勢守敏広だったそうですが、守護斯波義良を擁する清洲の大和守敏定の家系が有力となっていきます。そして清洲城主織田大和守家の三奉行から織田信長を生む織田弾正忠家が台頭するのです。

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