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2016年11月 1日 (火)

ローマ帝国建国史Ⅱ   マリウスの軍制改革

 グラックス兄弟の改革は元老院を形成するパトリキ(貴族)たちにより葬り去られました。ただ彼らとてローマが抱える問題を自覚しないわけではありません。ローマの軍事力の中核である重装歩兵を形成する中堅市民たちの没落が最後には軍事力の優越で成り立っているローマ自身の衰退にもなるのです。
 しかしだからと言って自分たちの既得権益を手放すのは誰でも嫌です。圧倒的多数の平民(プレブス)階級の不満はグラックス兄弟の横死後もますます増大しました。これに対し元老院が行ったのは上級市民の取り込みでした。平民の中には大土地所有や交易によって巨大な富を手にする者たちが増えます。国民皆兵のローマの軍制ではプレブスが重装歩兵になり、貴族たちは騎兵として参加しましたが、これら富裕となった市民も軍馬を養う事が可能となり騎兵になりました。新しい上級市民たちを騎士階級とよびます。のちに第1次三頭政治を行うクラッススもポンペイウスもこの騎士階級の出身です。
 元老院は騎士階級出身者を議員に迎え、自分たちの味方としました。一方パトリキの中でも主流から外れ権力の恩恵に与れない者たちはプレブスたちと結びつきます。元老院議員のパトリキと騎士階級の者たちを閥族派、プレブスと結びついた不平貴族とプレブスの有力者たちを平民派と呼びました。
 以後ローマは閥族派と平民派の対立を軸に動きます。ここに一人の男が登場します。彼の名はガイウス・マリウス(BC157年~BC86年)。騎士階級ですらなく叩き上げの軍人。国民皆兵の市民軍が前提のローマとはいえども、兵士の全員をその都度徴兵していては精強な軍隊とはなり得ません。おそらく軍の指揮官クラスは彼のような職業軍人が存在し戦時には市民からなる重装歩兵部隊を指揮したのでしょう。
 マリウスは軍才がありました。小スキピオに可愛がられ20代で幕僚となります。小スキピオは彼の庇護者となり紀元前122年財務官当選。その後護民官となり元老院議員にもなりました。紀元前109年に始まったユグルタ戦争では総司令官メッテルスの副官に任命されます。
 ある時、マリウスはメッテルスに来年のコンスル(執政官)選挙に出たいと相談しました。戦争が上手く行ってなかった事もありメッテルスはマリウスを罵倒します。「貧乏百姓が執政官だと?確かに貧乏人でも選挙に出ることはできるがそれは建前で、お前ごときには大それた望みだ」
 これに対しマリウスは、反論せず黙って軍を離れました。そしてコンスル選挙に出馬、圧倒的な軍の支持と貴族支配に不満を持っていたプレブス(平民)たちの支持を受け見事当選してしまいます。おそらく勝算があったのでしょう。マリウスは最初閥族派に近い政治思想でしたが、この時以来平民派の雄とまりました。
 コンスルに当選したマリウスが最初にしたのは、自分を罵倒したメッテルスを罷免して自分が総司令官に就任することでした。すると膠着していた戦況が一変、数か月のうちにヌミディア王ユグルタは降伏します。メッテルスが無能だったのかマリウスが有能すぎたのか。ただ、マリウスが総司令官として指揮した時、副官を務めたのはルキウス・コルネリウス・スラでした。ユグルタ戦争の勝利はスラのおかげだとも言われます。
 凱旋将軍となったマリウスは、圧倒的な民衆の支持を背景に改革に取り掛かります。マリウスもまたグラックス兄弟と同じ危惧を持っていましたが、より現実的な解決策を採りました。グラックス兄弟は、ローマ軍事力の中核である中堅市民層の救済(生活の安定)を目指しましたが、マリウスはローマの軍事力を維持するのが最終目的なら市民軍ではなく傭兵による常備軍を整備した方が早いと考えたのです。新たな軍の兵士には没落した市民を採用し、給与を払い武具も国家が支給する(それまでは自弁)。そして何年か軍務を務めた兵士には、退役時に退職金と土地を支給。退役兵士たちは、集団でイタリア半島各地(のちにはローマ支配地域全土)に植民し開拓しました。例えばドイツのケルンは、旧名コロニア・アグリピネンシスと言いローマの植民都市が起源。
 これによって、没落市民の救済と軍事力の維持、辺境の開拓という一石三鳥を狙います。マリウスの改革は確かに画期的でした。マリウスの軍制改革の軍事的側面を考えます。
 それまでのローマ軍は、初年兵から成る第1戦列(ハスタティ)、中堅兵から成る第2戦列(プリンキぺス)、ベテラン兵から成る第3戦列(トリアリィ)の重装歩兵で構成され各隊は1000名。これに戦闘初期の牽制を任務とする軽装歩兵(ウェリテス)と同盟諸都市から派遣された補助兵、騎兵で形成されていました。これが1個軍団(レギオ)で、だいたい4000名から4500名ほどでした。戦争の際には、必要に応じて何個軍団か編成されます。ローマ市だけで10個軍団以上が編成可能だと言われました。
 マリウスの改革以後は、すべてが職業軍人となり兵士の質が均一化されます。より機動的に運用するためコホルス(歩兵大隊)という戦術単位が登場しました。歩兵大隊とも訳されるコホルスは、諸説ありますがだいたい500名前後。これが10個集まって1個軍団(レギオ)となります。ただ戦闘の際の3列横陣は維持され、4・3・3のフォーメーションとなるケースが多かったそうです。これに騎兵が加わって1個軍団の定数は6000名に増大しました。
 軍団がコホルスで形成される事で、より柔軟な戦闘ができるようになります。必要によって戦列を開けたり敵の弱点に集中投入できました。コホルス戦術とよばれるローマの新たな軍制によってオリエント諸国を中心とする地中海世界、ガリアなどの内陸ヨーロッパは征服される運命となります。おそらく古代世界でここまで精緻な軍制を築いたのはローマだけでした。アレクサンドロス大王以来の伝統を誇るアンティゴノス朝マケドニアなどの後継者国家の軍隊ですら全く相手にならなかったのです。
 マリウスが開始したコホルス戦術は皮肉なことに同盟市戦争やスパルタクスの乱などの内戦で鍛え上げられました。良い事ずくめのマリウスの軍制改革でしたが、兵士の傭兵化は国家ではなく自分たちを養ってくれる将軍への忠誠、すなわち軍隊の私兵化に繋がります。この弊害が、後にマリウス自身を苦しめる事となりました。次回は、マリウスとスラの対立を描きます。

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