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2016年12月 1日 (木)

ローマ帝国建国史Ⅶ   賽は投げられた

 ガリア征服を果たしたカエサル。両ガリア、イリュリア属州総督の任期切れを待ってローマに凱旋し、執政官となって権力を盤石なものにする事は時間の問題となりました。元老院は、カエサルにスラと同じにおいを感じます。軍と共にローマに進軍し終身独裁官として君臨するのではないかと危機感を持ちました。

 

 

 

 ポンペイウスも同じ危惧を抱きます。本来なら元老院とポンペイウスは政敵関係にありましたが、カエサルという共通の脅威に対し結びつきました。ポンペイウスは、自分の軍団の威力を背景に「執政官立候補者はローマ市内在住者に限る」という法案を民会に提出します。カエサルの執政官選挙立候補を妨害するためでした。

 

 

 元老院保守強硬派のカトーは、さらにカエサルがガリア戦争中越権行為があったという嫌疑で裁判にかけるよう求めイタリアからの追放を宣言します。追い詰められていったカエサルですが、ポンペイウスとの外交による解決を図りました。しかしポンペイウスはもはやカエサルとのいかなる妥協も拒否します。この時元老院が一部から上がっていたカエサルに対抗するためポンペイウスを任期を限った独裁官に任命する案を採用していたら、おそらくカエサルはこの時滅んでいたかもしれません。軍事的能力と政治力の両方に優れたカエサルと比べれば、軍事的才能は互角でも政治力に劣るポンペイウスは制御できたはずなのです。

 

 

 しかし、元老院はポンペイウスを独裁官にする代わりに紀元前52年単独の執政官(通常は二人)に任命しました。同時に、ポンペイウスが持っていたヒスパ二ア、北アフリカ属州総督の任期を4年間延長する事も可決します。カエサルを侮っていたポンペイウスに対しある人が警告すると

 

「自分がどこにあろうと一踏み踏めば、たちどころにイタリアは軍勢でいっぱいになるだろう」と豪語しました。

 

 

 元老院の意見は次第に強硬となり、紀元前49年には非常事態宣言を行いポンペイウスに軍団の徴兵を要請します。相手はもちろんカエサルでした。当時カエサルは、第13軍団のみを率いガリア・キサルピナ(近ガリア)に居ました。執政官選挙準備のためです。主力はガリアの治安維持のためアルプスの向こう側に止めていました。

 

 

 対カエサルの戦争を覚悟したポンペイウスでしたが、軍勢は思ったほど集まりませんでした。新徴募の軍団が3個のみです。ポンペイウス軍の主力である歴戦の7個軍団はヒスパ二アに残されたままでした。陸路はカエサルの支配するガリアを通るしかありませんがそこで戦闘となるのは確実で、安全に輸送するとすれば海路ですが、今度は輸送する軍船が足りないというジレンマに陥ります。

 

 

 ところが元老院は、こういった現実を知らずカエサルに対し軍を解散してローマに出頭するか、軍を維持して公敵となるかの最後通牒を突きつけました。絶体絶命に陥ったカエサルはついに決断します。といってもガリアに居る主力を呼び戻す時間はありませんでした。ほうっておいたらポンペイウスの軍団に粉砕されるからです。

 

 

 カエサルは、第13軍団のみを率いガリアとイタリアの国境ルビコン川に立ちます。国境と言ってもルビコン川は小さな川でした。紀元前49年1月10日、カエサルは有名な言葉「賽は投げられた」を発します。

 

 

 ルビコン川を軍勢と共に渡ればその時点で反逆者です。といって軍勢を解散して渡ってもローマで裁判にかけられ処刑されるのは確実でした。軍勢と共に近ガリアに留まればポンペイウスと戦争になります。カエサルは乾坤一擲の勝負をせざるを得ませんでした。一度決断すれば行動が早いのはカエサルの長所です。騎兵を先行させ、遮二無二ローマを目指してアドリア海沿岸を南下しました。

 

 

 ここでポンペイウスには採るべきいくつかの選択肢がありました。一つは3個軍団を率いてローマの手前でカエサル軍を迎撃する案。もう一つはローマで持久しヒスパ二アからの援軍を待つ案。防備の整っていないローマを一時放棄しイタリア半島南部で軍勢の集結を持ってカエサルと決戦する案。言わば最初の案が上策、次の案が次策、最後の案が下策というところでしょうか。腐っても鯛である首都ローマを放棄する事は致命的だったと私は思います。

 

 

 元老院は、カエサルが軍を率いてルビコン川を越えたと聞いてパニックに陥ります。所詮覚悟のない連中でした。新徴募の新兵しかいない3個軍団で歴戦のカエサルの軍団を迎え撃つ事に恐怖を覚えたのです。カエサルが毎年報告したガリアでのカエサル軍の活躍が、自分たちに向けられることに今頃恐れ始めます。カトーら元老院議員は、ポンペイウスをせっつき首都ローマを放棄しイタリア南部でカエサルを迎え撃つよう求めました。ポンペイウスも長年軍務から離れていたことから不安を感じ、元老院の要求に従います。これが運命の分かれ目でした。

 

 

 ポンペイウスと共にカトーら保守強硬派は南イタリアに逃れました。中立派のキケロは途中まで同行しますが、離脱して自分の領地に引っ込みます。ローマに残ったのはカエサルの息のかかった平民派議員と中立派議員でした。3月16日、カエサルはローマに入城します。ほとんど戦らしい事はしませんでした。早い決断と断固とした行動が招いた幸運です。

 

 

 カエサルは、元老院に独裁官の称号を要求しました。ところが平民派しかいないはずの元老院は拒否。最後の良心は残っていたのでしょう。対してカエサルは「私は脅迫の言辞を弄するのは嫌いだが、実行するのは簡単だ」と軍の力を背景に恫喝します。これにより国庫の鍵を手に入れたカエサルは、兵站上有利な立場になりました。

 

 

 カエサルとポンペイウスの対決はどう展開するのでしょうか?次回、両者が雌雄を決するファルサロスの戦いを描きます。

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