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2016年12月 1日 (木)

ローマ帝国建国史Ⅵ   ガリア戦争(後編)

 ウェルキンゲトリクス(紀元前72年~紀元前46年)は、侵略者ローマに抵抗した人物としてフランス史上最初の英雄だとされます。カエサルのガリア征服は、それまでばらばらだったガリア人たちに民族としての意識と団結をもたらしました。内陸ガリアは、カエサルの征服地に囲まれている状況になってきたため危機感から立ち上がります。
 ウェルキンゲトリクスは、20歳でガリア中部アルウェルニ族の族長となります。当初、アルウェルニ族も周囲の諸族も強大なローマに服属して生き残るという意見が大勢を占めていました。しかし、ウェルキンゲトリクスはこれに反発し同士を集めます。まず部族内の親ローマ派だった叔父ゴバンニティオら有力者を追放。各地に使者を出して同盟を結び王に推戴されます。もちろん積極的に加担した者もあれば嫌々参加させられた部族もいました。ウェルキンゲトリクスは彼らから人質を取って裏切りを防ぎます。
 ウェルキンゲトリクスの勢力は、ガリア中央部はもとよりカエサルが征服した北ガリア、西ガリアにも及びます。放置すればカエサルがこれまで努力してきた結果が無駄になるのです。報告を受けたカエサルは事の重大性を理解し討伐軍を送ります。
 これに対しウェルキンゲトリクスは焦土戦術とゲリラ戦で対抗しました。こうなると敵地に居るローマ軍は苦しくなります。カエサルはウェルキンゲトリクスの本拠地ゲルゴウィアを攻略することで戦いを一気に決しようと考えました。ところが背後で兵站を担当していた親ローマのハエドゥイ族が敵側に寝返るそぶりを見せたためゲルゴウィア攻略を断念します。
 カエサルは、沿岸地方から一度北上し東へ向かうべく進軍しました。ローマ軍が弱体化していると見たウェルキンゲトリクスは、自ら軍を率い追撃します。ところが本格的野戦となるとガリア軍はカエサル率いるローマ軍の相手になりませんでした。重装歩兵とカエサルが雇い入れていたゲルマン騎兵の前に完敗しマンドゥビイ族の都市アレシアに逃げ込みます。
 カエサルは、ウェルキンゲトリクスを倒すことでガリア征服を完成させるべく子飼の6個軍団の他に第13軍団など新たに動員した6個軍団を合わせて12個軍団、これにゲルマン騎兵、クレタ投石兵、ヌミディア軽装歩兵など計6万の大軍でアレシアを囲みました。軍団の編成定数が6千なので計算が合わないかもしれませんが、カエサルは軍団の質が落ちる事を嫌い戦闘で損害が出ても補充せずそのままにしていました。カエサルの軍団は平均3千から4千だったと言われます。
 アレシアは丘陵上にあり二本の川に挟まれた要塞都市でした。ウェルキンゲトリクスは8万の兵を率い逃げ込みます。カエサルは力攻めでは大きな損害が出ると考え包囲策を採りました。総延長18キロ、高さ4メートルの土塁を二重に築きその前には二列の壕を掘り逆茂木を植えます。アレシア側の壕には水を引く重厚さです。
 こうなるとアレシアにもとからいた住民を抱えるウェルキンゲトリクスは兵糧が不足し始め飢餓に見舞われました。ウェルキンゲトリクスは、全滅を避けるため元からのアレシア住民を町から追い出します。しかしカエサルも住民の通過を拒否したため住民たちは丘の中腹で立ち往生し餓死しました。
 このころ、ウェルキンゲトリクスに同調するガリア諸族が彼を助けるためアレシアに接近しました。その数24万、しかしカエサルがあらかじめ用意していた二重の土塁と防御施設に阻まれます。アレシアの中と外からガリア軍に攻められてもカエサルの堅陣はびくともしませんでした。逆にカエサルの反撃で外側の24万の援軍が散り散りになって潰走したため、アレシア陥落は時間の問題となります。包囲網突破を図ったウェルキンゲトリクス最後の突撃も失敗、抵抗を諦めカエサルの軍門に降りました。ガリアの盟主ウェルキンゲトリクスの降伏でガリア戦争の大勢は決します。紀元前52年の事です。
 最後の一年は掃討戦でした。紀元前51年ゲルマン人と組み最後まで抵抗したトレウェリ族が降伏しカエサルのガリア征服は完了します。以後、ガリアの地はカエサルに忠実な属州となりました。8年に及ぶ遠征は、カエサルに莫大な富と自分に忠実な軍団をもたらしました。カエサルは、ガリア戦争をいちいちローマに報告し、また一般にも公表します。これが有名な『ガリア戦記』でラテン文学の傑作の一つだと言われました。ガリア戦記によって、カエサルはポンペイウスを凌ぐ声望を得ます。誰でも昔の栄光よりは今のそれに強い印象を受けるのです。ローマ貴族の子弟はこぞってカエサル軍への参加を希望したと言われます。
 面白くないのはポンペイウスでした。ガリア戦記を読むとカエサルがなかなかの将器を持っている事が分かります。すでにクラッススはシリアで戦死し歯止めが効かなくなった両者の対立は深刻なものとなりました。元老院もまた、ローマの外で強大な権力を握ったカエサルを警戒します。ポンペイウスと、元老院内部の保守強硬派カトーらは対カエサルで共闘するようになりました。キケロは中立派でしたが、元老院の権威を維持するという意志は保守強硬派と近く、ローマで反カエサル勢力が結集し始めます。
 カエサルは、これにどう対抗するのでしょうか?次回『賽は投げられた』に御期待下さい。

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