蘇東坡と東坡肉(トンポーロウ)
蘇軾、雅号東坡。一般には蘇東坡(1037年~1101年)といえば北宋時代の政治家・詩人・書家として有名です。どのような人か知らずとも名前くらいは聞いた事があるでしょう。柳宗元、王安石らと共に唐宋八大家の一人として知られていますよね。
最近知ったんですが、中華料理の東坡肉(トンポーロウ)って蘇東坡が考案した料理だそうですよ。たしかに東坡で共通してますもんね。
1079年左遷された蘇東坡は湖北省黄州に追われたそうです。時の政権を批判した罪で事実上の流罪ですから質素な生活をし晴耕雨読の日々だったそうです。なんでも湖北省黄州は豚肉の産地だそうで、蘇東坡は豚のバラ肉を揚げて醤油と酒とミリン(蘇東坡時代は醤油だけだったらしい)で煮た料理を考案し、大好物だったと言われます。来客にも振る舞ったため評判になって世間に広まり、後に蘇東坡の名前を取って東坡肉(トンポーロウ)と名付けられたらしいですよ。
蘇東坡自身は、北宋末の王安石による新法党と司馬光らの旧法党との争いに巻き込まれ何度か左遷、中央復帰を繰り返しています。決して順風満帆の生涯ではなかったと思います。62歳の時にはなんと海南島まで追放されたといわれますから凄まじい。66歳の時哲宗皇帝が崩御し徽宗皇帝が即位したため、恩赦で許され都開封(東京 とうけい)に帰還する途中常州(江蘇省)で病を得死去しました。
蘇東坡といえば赤壁賦で有名ですが、実際の三国時代の古戦場は別のところ(過去記事で考察してますよね)だったらしく戦場の赤壁を武赤壁、蘇東坡が詩を詠んだところを文赤壁と呼ぶそうです。それにしても、まさか中華料理でまで蘇東坡のお世話になっていたとは…。世界史エピソードって面白いですね(笑)。
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