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2017年6月11日 (日)

古代の兵站話  その2

 カデシュの戦い当時2万のエジプト軍が1日にどのくらい物資を消費したか考えてみました。第2次大戦当時、歩兵師団(1.5万で計算)の1日物資消費量は最低200tと言われます。古代には、弾薬は使わないので食料が大半だったとは思いますが、消耗品である矢の補給は必須です。武器や防具も壊れたものは交換品が要ります。

 計算を単純化するために、1日で兵士が消費する物資を食料+消耗品の矢などで10kgとします。本当は秣とかもあるのでもっと多くなるとは思いますが、10kgとすると2万の兵士で200t、あれ?第2次大戦とあまり変わりませんな。一番簡単な運搬方法は兵士が自ら背負っていく事ですが、これだと30kgが限界だそうです。10kgだと3日分、節約して5kgに抑えたとしても6日分、これだと長くもちませんね。
 馬車あるいは牛車を運搬手段としましょう。20世紀初頭、馬車の最大積載量は1.5tだったそうですがこれは道路網が整備されての話。インフラもままならない古代では1tもあれば良い方だったでしょう。これで200tを賄うとなると200台必要になります。ただし移動距離も考え、物資集積所から前線まで運ぶには最低でも往復するとして400台は必要になります。数が多ければ多いほど運送効率は上がりますが、その分馬や牛の食料まで考慮しなければなりませんから、1日の物資消費量は増大します。行軍距離が長くなると物資集積所も複数設けなくてはなりません。これを合わせると馬車あるいは牛車がどれくらい必要か想像もできないほどです。
 一方、古代の船はどれくらい積載量があったでしょうか?古代ローマの大型船は最大500tの積載量を誇っていたそうです。小さめの商船でも150t、古代ギリシャもだいたいそれくらいだと言われます。カデシュ当時はそれよりは造船技術が低いと思われますから50tがせいぜいか?100tあれば良い方でしょう。50tとしたら1日4隻で済みます。100tら2隻、200tなら1隻です。
 当時の造船技術に疎いのではっきりは言えませんが、エジプトほどの大国なら100t積み以上の大型船を複数保有してもおかしくありません。部隊の一部を海路パレスチナに送り届けたという話もありますから、少なくとも数千人を一度に運べるくらいの海軍力は持っていた可能性があります。そしてそれほどの大国だったからこそシリアに遠征できたとも言えます。
 陸路1日200tの兵站線を維持するのは不可能とは言いませんが、かなり無理だと思います。やはり海路を補給の中心に据えなければこのような大規模遠征はできないでしょう。
 古代の船の積載量、とても気になります。

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