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2017年7月 2日 (日)

大オスマン帝国Ⅱ  オルハンとムラト1世

 オスマン君侯国が最初に都と定めたブルサはどのような都市だったでしょうか?2015年の人口統計では、イスタンブール(1486万)、アンカラ(532万)、イズミル(416万)に次ぐ第4位283万の人口を誇ります。14世紀当時の人口は分かりませんが、ある程度の人口(数万)はいただろうと想像できます。
 荒涼たる高原が広がるアナトリア半島は、古代からの通商路の要衝に当たる内陸のアンカラ(当時はアンゴラ)を除き、人口の大半はエーゲ海沿いの西部とトレビゾンドを中心とする黒海沿岸の北部に集中していました。ブルサを都としたオスマン朝初期の領土はだいたいアナトリア半島の5%程度。総人口も10万いたかどうか分かりません。人口の3%が外征兵力ですから3千程度の軍隊しかもたない弱小国でした。
 オスマン・ベイの子で2代君侯(べイ)を継いだオルハン(在位1326年~1362年)は、ブルサを根拠地としビザンツ領への侵攻を開始します。普通ならこのような弱小国が勢力を伸ばすのはあり得ないのですが、ちょうどビザンツ帝国は衰退期に入っておりバルカン半島側で強大化したブルガリアとセルビアも互いに争いこの地方は権力の空白地帯になっていました。
 初期のオスマン軍は、トルコ系遊牧民を主力とする騎馬軍でした。数で劣っても機動力でビザンツの地方軍を圧倒できたのです。オルハンが一代で征服した領土はアナトリア西北部のボスポラス海峡からダーダネス海峡まで。面積でアナトリア全体の15%ほどでしょうか?ここまで来るとある程度国家としての基盤を確立したとも言えます。
 国家としての形が固まると、オルハンはこれまでのようなトルコ遊牧民たちの武勇に頼ることに不安を感じ始めます。遊牧民は確かに強かったのですが、反面自主性が強く君侯の命に絶対服従したわけではありません。時には命令違反もあり、今後の拡大路線にとって障害になる事は明らかでした。
 
 その点オスマン家は辺境で育っていただけに柔軟な考えを持っていました。ビザンツの傭兵制度に目を付け、オスマン家独自の常備軍を構想します。最初はトルコ系から選抜した騎兵ミュッセレムと歩兵ヤヤから成る部隊でした。軍役中は日給を支給され平時は免税特権を受け農業に従事します。これが後にキリスト教子弟から徴兵された常備歩兵軍団イェニチェリに発展するのです。
 第3代君侯にはオルハンの子ムラト1世(在位1362年~1389年)が即位します。依然としてベイ(君侯)を自称していました。まだスルタン(イスラム世界の世俗君主の称号)を名乗らなかったのは、そこまでの勢力になっていないとの自覚なのでしょう。
 ムラト1世は、祖父オスマン、父オルハンを凌ぐ英主でした。大人口(推定100万)を誇る帝都コンスタンティノープルの攻略を目指しバルカン半島へ進出します。ビザンツの帝都周辺は人口密集地でオスマンの兵力での攻略はまだ無理でした。そこでムラト1世は、帝都周辺以外のバルカン半島のビザンツ領を蚕食します。この時ビザンツのバルカン半島における重要都市アドリアノープルを征服しました。以後この都市はエディルネと改称されオスマン第二の首都となります。
 ビザンツ帝国は、首都周辺とギリシャの一部を残してほとんどの領土をオスマンに奪われました。ムラト1世の晩年、スルタン号を名乗るにふさわしくなったと思ったのでしょう、ようやくスルタンを名乗り始めました。以後オスマン君侯国は帝国となって行きます。
 急速に拡大したオスマン帝国に危機感を抱いたセルビア、クロアチア、ボスニア、アルバニアはオスマンに臣従していたブルガリアを誘い反トルコ十字軍を結成、1386年ムラト1世に挑戦しました。オスマン軍はこれをニコポリスで破り、1389年にはコソボの戦いで止めを刺します。ところがこの戦いの最中、ムラト1世はセルビア人貴族ミロシュ・オビリチに殺されました。
 戦死したムラト1世の後を継いだのは息子バヤジット1世。スルタンが亡くなってもオスマン帝国の拡大路線は頓挫しませんでした。次回はバヤジット1世のバルカン征服とアンゴラの戦いを描きます。

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