隋唐帝国Ⅳ 北魏の華北統一
遊牧国家が農耕地帯を支配しても長続きしないのは、統治するための官僚機構、税制法制の整備、民生の安定などを作り上げる事ができないからです。軍事力だけでは国を保つことはできず、国民から税を徴収しそれをインフラ投資や民生安定に投資する農耕民族国家として当たり前の事を理解できる遊牧民族は稀でした。
そのために遊牧国家は、支那大陸では実務を司る官僚として漢民族を中東ではイラン人やソグド人を登用します。オスマントルコに至っては自分たちが滅ぼしたビザンツ帝国のギリシャ人やバルカン出身者を重用しました。彼らを使って支配下の農耕民を統治する仕組みを作ったのです。契丹族の遼や女真族の金はこれができました。ところが五胡十六国時代の遊牧民たちは満足にできなかったから短命政権に終わったのです。
一例をあげましょう。羯族の石勒が建国した後趙。後趙は有力武将の石虎に乗っ取られます。石虎は暴虐の限りを尽くし、豪華な宮殿を建造し民間から数千人の美女を徴発しました。その中には人妻もいたそうですがお構いなしです。馬が足りなくなると民間から三万頭の馬を挑発します。後にはさらに三万人の美女を挑発し朝廷や王族に分配したそうです。逆らう者には虐殺が待っていました。各地に豪勢な宮殿を造営し数十万人を動員します。このために四十万人もの死傷者が出ました。
後趙は漢人の怨みを買います。冉閔が国を簒奪した時、漢民族に石氏一族をはじめとする羯族への復讐を訴えたのはこういった背景があったからでした。漢民族の民衆は、羯族だけでなく長年苦しめられた五胡すべてに復讐し20万人以上が虐殺されたそうです。北方の遊牧民が漢族を殺した数が多いのか、漢族が報復で殺した遊牧民の数が多いのかは不明ですが、復讐は復讐を呼び支那の領域外に脱出できた遊牧民は10人中1人という有様でした。
非常に皮肉な見方をすると、この時の漢民族は純粋な漢民族ではなく長年遊牧民に支配され混血がすすみ(男は虐殺、女は強姦)、ほとんど血統的には遊牧民と変わらなくなっていた人々です。ですから混血の遊牧民の子孫が、漢族という幻想の血統を守るためにかつての同胞だった純粋な遊牧民を虐殺しただけだとも言えます。
支那文明の凄いところは、このように漢民族で無かった者たちにも漢民族としての意識を植え付けた点でした。遊牧民を虐殺した連中自身、自分たちは漢民族だと信じて疑わなかったでしょうから。その幻想は現在でも続いています。一方、南朝の国民が漢民族だったかというとこれも違い、越族系やタイ族系の原住民の上に、中原や山東から逃れてきた大貴族とその部民たちが乗っかっているだけでした。
さて、モンゴル系と言われる鮮卑族で最大の勢力を誇る拓跋部の建てた北魏という国があります。淝水の戦い敗北の結果分裂した前秦の混乱に乗じて独立した国家でした。その本拠地は現在の内モンゴルで遊牧民としての純粋性を色濃く残します。そのため強力な軍事力を持ち中原に興った五胡の諸国の侵攻を退け、モンゴル高原にも遠征して柔然を討ちました。
北魏の指導者は拓跋珪(たくばつ けい)という人物です。拓跋珪は遊牧民ながら非常に優秀な人物で漢民族の文化を取り入れ積極的に漢人官僚を登用します。398年平城(山西省大同)を都に定め、各地に遠征しました。即位した拓跋珪は死後道武帝と諡(おくりな)されます。
南北朝時代が始まったとされる439年は、北魏第3代太武帝が華北を統一した年でした。北魏は漢民族の文化を積極的に取り入れ漢化した事で華北の統治を容易にしましたが、一方旧来の鮮卑族の伝統を重んじる守旧派との対立が起こります。
第6代孝文帝(在位471年~499年)は、北魏内の両者の対立を鎮めるため思いきって首都を中原の洛陽に移しました。中央集権化を推し進め鮮卑族と漢人の融和に努めます。仏教を保護し、彼に治世で有名な洛陽郊外竜門の石窟院が造られます。九品官人法を一部取り入れるなど積極的な漢化政策を実施、北魏の最盛期を築きました。
漢化政策は鮮卑人の反発を呼び、皇太子の元恂ですらこれに同調するようになります。孝文帝の晩年、旧都平城で反乱が起こり、首謀者に祭り上げられていた元恂は捕えられます。孝文帝は元恂を廃嫡したうえで処刑したそうです。ただ反乱の余波は残り北魏分裂の原因となりました。
次回、北魏の分裂と北朝の興亡を記します。
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