田村顕頼は百歳???
前記事岩崎一揆を鎮圧した南部家の宿老北信愛(のぶちか)が当時77歳だったことに驚いたと書きました。信愛は、なんと1613年まで生き91歳で大往生を遂げたそうです。戦国時代には時々このように驚くべき長命の人が出てきますが、上には上がいました。
といっても北信愛のように輝かしい武功を上げたというわけではなく、記録上長命であったというだけの人です。その名を田村顕頼といいます。生没年不詳なのですが、田村盛顕の次男ということだけわかっています。
田村氏と言えば南陸奥の豪族で代々田村郡を領します。最盛期には10万石になったとされ、戦国時代最後の当主清顕は伊達政宗の正室愛(めご)姫の父として有名です。盛顕は清顕の曾祖父に当たります。盛顕の没したのが1487年。その最晩年に生まれたとしても清顕は1500年代後半の人ですから100年近くたっています。
なぜ驚くかというと、顕頼は1589年伊達氏による二階堂氏の須賀川城攻めに従軍したという記録があるのです。顕頼が1487年生まれだとしてもこの時102歳。さすがにあり得ないと思います。
顕頼は当時入道して月斎と名乗っていたそうですから、常識的な線では顕頼の子か孫が同じく出家して月斎と名乗ったか、単純な誤記ではないかとされます。私は子か孫説を採りたいですね。ただこれが70代だったら、北信愛の例もあるので可能性無きにしも非ずです。さすがに百歳超えたら馬にも満足に乗れないでしょう。輿に乗ったとしても鎧の重さにすら耐えられなかった気がします。
果たして真相はどうなんでしょうね?
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