江戸時代の貨幣価値
最近、山口県の歴史(山川出版社、三坂圭治著)を読んでいるんですよ。大内氏の発展の話が面白くて、尼子氏との攻防を新たに記事にしようかと過去記事を読み直していたんです。
2010年2月15日に書いた『石見銀山の産出量』に至ったところ、石見銀山の産出量年1万貫、金に換算して年1万両とざっくり書いていました。
ところがよく読むと、私は貨幣価値である銅銭の1貫と重さの単位の1貫(3.75㎏)をごっちゃにしていたことに気づきました。恥ずかしいので早速追伸で修正したんですが、ここで改めて紹介すると江戸時代換算で
金1両=銀60匁(もんめ)=銅銭4000文(4貫)
になります。もちろん戦国期のレートはこれとは若干違っていたかもしれませんが、石見銀山の年間産出量を金の価値に直すと
10000×1000(匁)÷60=166666.7
になります。ということで小数点以下を四捨五入して金貨換算約16万6667両の産出量があったことになります。濡れ手に粟で16万両以上も銀が手に入るならそりゃ大内も尼子も命を懸けて争奪するはずですよ。
なかなか勉強になりました(笑)。計算間違ってないよね?もし間違っていたらご指摘ください。文系だから数字に弱いんですよ(←言い訳)。
追伸:
金1両=銀60匁
金10両=銀600匁
金100両=銀6000匁=銀6貫
金1000両=銀60貫
金1万両=銀600貫
金10万両=銀6000貫
だから、だいたい合ってるよね?
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