2023年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
無料ブログはココログ

« ラビ川の戦い1306年 | トップページ | チャガタイ汗国の興亡 »

2019年1月 8日 (火)

『ラビ川の戦い』話の続き ラホールの重要性

 一般の方は興味ないでしょうからスルーしてください。私は一つの事に興味を持つとその関連の事を調べなくては気が済まない悪い癖をもっていまして、1306年ラビ川の戦いがどうして起こったのか原因を考えてみました。と言っても資料が少なく、あくまで私が調べた限りの情報とそれに基づく推測ですが…。
 ラビ川は、地図を見ていただくと分かる通りパキスタン第二の都市ラホールのすぐ北を流れています。現在の人口なんと1千万人!ちなみに第一はインド洋に面した港湾都市カラチでこちらは2千4百万と桁違いです!パキスタンは人口2億人超の大国ですからこれぐらいの大人口の都市があっても不思議ではありません。
 余談ついでに言うと、カラチは古代ギリシャ時代から存在を知られたインド洋の交易都市でイギリス植民地時代も重要な港湾都市として整備されていたから栄えるのは当然です。一方、内陸に位置するラホールの大人口は古代からアフガン地方とインド本土を結ぶ交通の要衝で豊かなパンジャブ地方で生産されたあらゆる物資の集積地だったとしたら説明がつきます。すぐ北を流れるラビ川は、インド洋にそそぐインダス河と合流していますから水運も利用できたのでしょう。
 ですから防衛するハルジー朝側からすればラホールの失陥はパンジャブ地方全体の失陥を意味し、攻めるチャガタイ汗国側もラホールを落とさない限りパンジャブ地方の完全支配ができなかったのでしょう。ですからハルジー朝の将軍マリクは最終防衛線としてラビ川を選んだのだと思います。
 調べてみるとラホール自体も波瀾万丈の歴史を持っていますね。11世紀アフガニスタンに興ったガズナ朝に征服され、同じくアフガンに興ったゴール朝が1150年ガズナ朝の首都ガズナを落とすと、ガズナ朝はラホールに遷都しています。1186年、ゴール朝はパンジャブ地方に侵攻してガズナ朝を完全に滅ぼしました。この時ラホールも破壊されたそうです。
 苦難は続き、ようやく復興したラホールに今度は1241年モンゴル軍が侵攻します。1398年にはティムール軍まで!踏んだり蹴ったりですが、それだけラホールが重要だったという証拠でしょう。中央アジア方面からインドに侵攻した勢力は必ずラホールを通ったみたいですね。インドにムガール帝国を建国したバーブルもラホールを拠点としてインド侵攻に赴いたそうです。ムガール歴代皇帝は、ラホールの重要性を認め保護を加えました。現在世界遺産にラホール城とシャーラマール庭園が登録されています。
 私も一生に一度は見に行きたいですね。

« ラビ川の戦い1306年 | トップページ | チャガタイ汗国の興亡 »

 世界史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『ラビ川の戦い』話の続き ラホールの重要性:

« ラビ川の戦い1306年 | トップページ | チャガタイ汗国の興亡 »