2023年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
無料ブログはココログ

« 薩摩藩の幕末維新余話 | トップページ | ラビ川の戦い1306年 »

2019年1月 8日 (火)

徳川四天王の最終領地

 何気なしに戦国武将の鎧をネットで見ていたんですが、本多忠勝の有名な鹿の角の兜を見つけた時「そういえば本多家は幕末にはどこが領地だったんだろう?」と気になりました。せっかくなので徳川四天王全て調べてみることに。

 
 ちなみに徳川四天王を知らない人のために簡単に紹介すると、徳川家康の天下取りに貢献した4人の重臣の事で
 井伊直政
 本多忠勝
 榊原康政
 酒井忠次 
を指します。井伊家の子孫は徳川譜代筆頭として近江彦根35万石で有名ですから他の三人を調べると
◇本多家
 伊勢桑名11万石→播磨姫路15万石→途中略→三河岡崎5万石で幕末
お家騒動とか色々あって、功績のある本多家を潰すわけにはいくまいとお情けで岡崎5万石を許されたみたいですね。
◇榊原家
 上野舘林10万石→途中略→播磨姫路15万石→途中略→越後高田15万石で幕末
本多家と比べると最終的に15万石をキープした当たり幸せか?
◇酒井家
 信康事件の不手際から最初は冷遇
 下総臼井3万石→上野高崎5万石→越後高田10万石→信濃松代10万石→出羽庄内17万石で幕末
 本多家と違い子孫繁栄の大躍進ですな。途中老中も出してますしね。
 ちなみに忠次の子孫は左衛門尉家と言われます。一方、分家の雅楽頭家(うたのかみけ)酒井氏もおり、こちらも下馬将軍と恐れられた権力者酒井忠清を出しております。こちらの子孫は若狭小浜藩11万石で幕末を迎えます。
 酒井家の場合は、忠次の功績というより酒井一族の豪族としての力が無視できなかったため、嫌々四天王に加えたという感が否めませんね。家康も忠次を嫌っていたようですし。

« 薩摩藩の幕末維新余話 | トップページ | ラビ川の戦い1306年 »

 日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 徳川四天王の最終領地:

« 薩摩藩の幕末維新余話 | トップページ | ラビ川の戦い1306年 »