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2019年2月28日 (木)

ルイ16世は、やりようによっては死ななくても良かったのでは?

 皆さんは、王妃マリー・アントワネットと共にフランス革命で断頭台の露と消えたルイ16世にどんな印象を持っていますか?ベルサイユのばらのファンなら、気が弱くてお人好し、妻の尻に敷かれているが好人物という印象があるかもしれません。また戦後日本の史学界を席巻した左翼史観で見れば、人民を弾圧し処刑されても仕方のない悪王という評価を下すかもしれません。
 実はフランス革命に関して記事を書こうとして当時の事を調べているんですが、悪王というのはあまりにも酷いと個人的には思いました。決して無能ではないものの、お人好しすぎて肝心な時に情勢判断を誤り結果的に自らを滅ぼすに至った不運な人というのが私の正直な印象です。
 というのも、やり方によっては死ななくて済んだはずなんです。実際、先祖(5代前)のルイ14世はパリ全体が蜂起したフロンドの乱の際、いち早く無政府状態のパリを脱出し国王派の軍隊を糾合してパリを包囲し乱を鎮圧しています。次に貴族派が反乱を起こした時も危険を察知しパリを脱出しました。
 国王処刑といえば、清教徒革命時のイギリス、スチュアート朝のチャールズ1世を思い出しますが、チャールズ1世はスコットランドへの亡命(というかもともとスコットランド王を兼任)には成功してますからケースが違います。チャールズ1世は、スコットランドで巻き返しを図りますが議会派の軍隊に敗北し捕らえられて処刑されました。
 ところがルイ16世は、フランス革命が本格化しブルボン朝の命運が尽きようとしている時も情勢判断を誤りベルサイユ宮殿、そしてパリに居続けます。王妃マリー・アントワネットの愛人スウェーデン貴族のフェルセン伯爵の手引きで家族と共にパリを脱出するも、途中で見つかりパリに連れ戻されました。結果、革命派民衆の激昂を受け処刑されるのです。
 では脱出に成功した国王たちと失敗したルイ16世との違いは何でしょうか?私は軍隊を連れているかどうかだと思います。ルイ16世は目立たないように馬車で逃げたんですがこれが大間違い。不自然な行動は国境を越えるまでにどこかで絶対に見つかります。それよりも軍隊を引き連れて堂々と移動すればおいそれと手出しできないはずなんです。
 ルイ16世ばかりでなく、逃亡をお膳立てしたフェルセンも無能と言わざるを得ません。だいたい妻の不倫相手に頼るというのが情けない。ルイ16世が妻の不倫に最後まで気付かなかったとすれば愚かすぎるし、うすうす気づきながら不倫を許したとしてもヘタレすぎます。国王ならフェルセンを処刑し妻とは離婚、オーストリアに叩き返すべきでしょう。
 当時国王に忠実な軍隊などなかったではないか?と反論する人もいるかもしれません。ところがフランス王室はスイス人傭兵を雇っていました。スイス人傭兵は精強で絶対に裏切りません。国際的信用問題になりますからね。スイス傭兵隊を1個大隊(800名)くらい動員し「国境を視察する」とかなんとか言い訳し家族は軍隊の補給品の馬車に隠し堂々とパリを出るべきでした。それも革命が本格化する前に。もちろん連れて行く軍隊は多ければ多いほど安全係数が上がるのは言うまでもありません。
 一旦国境に着いたら、情勢を良く調べ軍隊によって巻き返しが可能ならルイ14世のようにパリに進軍すべきだし無理なら妻の実家オーストリアに亡命すべきでした。亡命するならイングランドの方がベストなんですが、船を調達するなどいろいろ面倒くさいのでドイツ国境が現実的選択でしょう。
 もしルイ16世がルイ14世のような決断出来たらギロチンで処刑されるまではいかなかったと思います。そして上記のような行動をすればフランス革命ももっと違った展開になったかもしれません。そこまでの判断力も決断もできなかったからルイ16世は処刑されたんでしょうね。当時共和派の有力者ラファイエット侯爵は国王処刑までは考えていなかったそうですので、彼と結ぶという手もあったかもしれません。そうなればイギリスのように立憲君主制と議会制民主主義という穏健な道もあったと思います。
 本当に歴史というのは難しいですね。当事者になってみないとどう行動するか分からないというのも実情でしょう。

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