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2019年2月28日 (木)

平安奥羽の戦乱Ⅲ 安倍頼時起つ

 清和源氏の主流となった河内源氏と関東の関りは、頼義の父で河内源氏初代頼信が朝廷の命を受け1028年房総半島で起こった平忠常の乱を平定してからです。頼信は反乱鎮圧に際し関東の武士たちを動員し主従関係を結びました。頼義は、父頼信の勢力を引き継ぎ関東武士の棟梁として君臨します。武士の台頭を喜ばない朝廷は、頼義と関東の関係を苦々しく見守りますが、陸奥で起こった安倍氏の反乱を鎮圧できる者が他にいなかったため彼を陸奥守として起用したのです。
 頼義もこの機会を最大限に利用しようとしました。陸奥国は武士にとって重要な良馬の産地。そして陸奥が生み出す黄金も魅力でした。馬は武力、金は経済力、この二つを手に入れれば源氏の勢力は都の貴族も手出しできないほど強大になるのです。野望を胸に陸奥国に下向した頼義。ところが朝廷より上東門院(藤原彰子)の病気平癒祈願による大赦令が出されせっかくの頼義の野望は潰えたかに見えました。私は都の貴族による陰謀の臭いを疑っています。朝廷にとっては反乱した安倍氏が降伏すればよいだけで、下手に源氏が陸奥で勢力を拡大することは望まなかったはずだからです。
 源頼義の陸奥守は1056年で任期満了となります。安倍頼時は頼義の危険性を十分承知していましたから、ひたすら恭順し付け入る隙を与えませんでした。安倍頼時は退任する頼義を衣川の館に招いて惜別の供応をします。その帰途事件が起こりました。頼義一行が阿久利川(岩手県一関市を流れる磐井川だと言われる)河畔で野営していた時の事です。夜半、何者かが頼義の陣を襲い人馬を殺傷したという報告が入ります。報告者によると襲撃者は安倍氏の旗印をつけていたとのこと。そして頼義一行を見送るため同行していた安倍頼時の長男貞任もいつの間にか陣を抜け出していたという情報が入りました。
 どう考えても安倍氏側が頼義一行を襲撃するはずがありません。阿久利川事件は頼義の自作自演の疑いが濃厚です。貞任が陣を抜け出したのも、偽情報を流して頼義側があえて逃がした可能性が高いです。これは明らかに罠でした。表向き激高して見せた頼義は、安倍氏に対し襲撃者貞任の首を差し出せと無理難題を吹きかけます。
 あくまで私の印象ですが、猪突猛進型の貞任に対し頼時は慎重で軽挙妄動をしない人物に見えます。だからこそ、頼義の任期中は大人しくし彼が陸奥を去るのをじっと待っていたのでしょう。ところがそれでは困る頼義は何としても安倍氏を挑発し戦に持ち込まないといけなかったのです。安倍氏側は善後策を協議します。慎重派の頼時三男宗任は戦を始めても最後は朝廷の大軍を受けて負けるので何とか避ける方法を探りました。ところが罠にかけられた張本人である貞任は、怒りが治まらず徹底抗戦を主張します。一族の軍議をじっと聞いていた頼時はついに挙兵を決断しました。
 頼時は、陸奥守源頼義に対し貞任出頭を拒否し衣川柵を中心に奥六郡各地に築いた柵に立てこもります。安倍氏の総兵力は軍記ものでは一万以上と書かれていますが、当時の生産力を考えると外征で3千、領内の防衛戦で短期なら7千がせいぜいだと思います。一方頼義が集められる兵力も陸奥国府の兵と関東から下ってきた源氏方の武士を合わせても5~6千くらいだったと考えられます。これはあくまで戦国時代の石高から算出した数ですから、平安時代の人口、農業生産力を考えるとその半分くらいだったかもしれません。
 頼義にとっては待ってましたとばかりの好機です。早速朝廷に安倍頼時謀反を訴え、反乱鎮圧のため陸奥守の任期延長を勝ち取りました。この時頼義の軍には嫡男八幡太郎義家も同行しています。頼義、義家親子は叛徒鎮圧を大義名分に、その実河内源氏の勢力拡大を目的に前九年の役を戦うのです。
 官軍である陸奥国府の軍には、安倍頼時の娘婿である平永衡、藤原経清も加わります。頼義は、父頼信の代からの家人である経清は重用しても、一時は安倍陣営に加わった永衡を決して信用しませんでした。永衡は銀で飾られたきらびやかな鎧を着ていたと言われます。ある時、頼義に「永衡は安倍方と通じているのではないか?」という密告がありました。もともと疑っていた頼義は、永衡に弁明の機会も与えず斬殺します。これを見ていた経清は戦慄しました。次は自分の番ではないかと恐れ、経清は郎党と共に安倍陣営に奔ります。
 これは頼義の失策でした。永衡は幽閉だけしていたほうが良かったかもしれません。ともかく、経清の裏切りで頼義は窮地に立たされます。頼義はどう戦うのでしょうか?次回、頼時の死と黄海(きのみ)の戦いについて記します。

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