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2019年2月28日 (木)

平安奥羽の戦乱Ⅷ 清原一族の内訌

 清原真衡の挑発に乗り出羽の領地に戻った吉彦秀武。吉彦氏のルーツは俘囚の吉美侯部(きみこべ)から来ているとも、毛野(けぬ)地方(栃木、群馬)の豪族毛野氏の一族が大和朝廷の出羽征服に従ってこの地に至り俘囚の長となったとも言われます。吉彦氏の本拠についても、一応出羽国荒川(現在の秋田県大仙市協和荒川)だとされますがはっきりしません。仙北三郡の有力豪族であったことは間違いなく、清原氏は通婚を重ねて一族に加えました。
 秀武は、もともと清原氏と自分は同格という意識があったのでしょう。それが一族の大叔父としての尊敬の念がないばかりか、臣下扱いして嘲弄した真衡を許すことはできませんでした。真衡側にも言い分があり、自分ではなく弟家衡を清原氏の家督に据えようと暗躍する秀武の存在は邪魔でいつか除こうと考えてました。秀武は6千の兵を集め挙兵したと伝えられます。ただ軍記物は誇張がつきものですので、その半分くらいが妥当な線だと思います。
 秀武の挙兵を待ち構えていた真衡は8千の兵を動員し秀武討伐の軍を発しました。家衡は、しぶる兄清衡を説得し揃って挙兵します。ところが家衡は、胆沢の真衡館を襲う役目を兄清衡に任せ、自分は南方の白鳥村焼き討ちに向かいます。最悪の場合、兄を首謀者として陸奥国府に差し出す狡猾な意図でした。清衡、家衡挙兵の報告を受けた真衡はすぐさま兵を返します。こうなれば兄弟に勝ち目はありません。各々自分の館に戻り籠城しました。これを見ると家衡も奥六郡のどこかに屋敷を構えていたことになります。
 ここで乗り出してきたのは陸奥守源義家でした。義家は国司の権限で戦を調停し清衡、家衡兄弟に降伏を勧告します。その処分も大甘で、首謀者家衡に対し、白鳥村を焼き討ちし収穫を灰にした罰としてその年の年貢を倍支払うという軽い処分で終わりました。義家にとって、真衡が勝って清原一族が盤石になってもらっては困るのです。
 
 義家と清衡がいつ結んだかははっきりしませんが、もしかしたらこの時期だったかもしれません。義家は一番劣勢な清衡を秘かに応援することで清原一族をずたずたに引き裂こうと考えていました。一方、清衡側も義家のバックアップは望むところでした。清衡にとって義家は父経清の仇。同盟を結ぶのは複雑な心境だったことでしょう。しかし、情勢を冷静に分析した清衡は恩讐を超えて義家との同盟が得策と判断しました。互いに打算を持った同盟でしたが、これが後々大きな影響力を持ちます。
 真衡は、陸奥守義家が自分の味方につかなかったことに焦りました。そこで今度は確実に味方に付ける方策を考えます。再び秀武討伐の軍を発した真衡は、軍監として義家の家臣2名の出動を要請しました。家臣は胆沢の真衡館に留め置かれ供応を受けます。そこへ再び家衡の軍勢が襲ったため、行きがかり上義家の家来も防戦に協力せざるを得なくなります。一説では襲ったのは家衡ではなく、真衡が雇った武士たちだったとも言われますが、これで家衡は陸奥国府の官人を襲った朝敵となりました。報告を受けた家衡は善後策を講じるため豊田の清衡館に逃げ込み清衡も同罪となります。
 絶体絶命の清衡・家衡兄弟。ところが出羽の陣中にあった真衡が急死してしまうのです。あまりにも絶妙なタイミングに暗殺説もあります。犯人も清衡、あるいは自分を利用したことに怒った義家だとも言われますが、真相は闇の中です。
 当主真衡の急死で清原氏の家督は微妙になりました。通常であれば真衡の養子成衡でしょうが、清原一族は誰一人として納得せず家衡を推します。調停は陸奥守源義家に委ねられました。義家の調停案はこうです。
①清原氏の家督は家衡が継ぐ。
②ただし一時朝廷に弓引いた罪を考え奥六郡を二つに分割し兄弟にそれぞれ与える。
③南の胆沢、江刺、和賀の三郡は清衡に、北の岩手、紫波、稗貫を家衡に。
④奥六郡の年貢は胆沢郡を領する清衡がまとめて国府に納入する。
この事実を知った家衡は激高しました。二分と言っても奥六郡のうち清衡の取り分は石高で言うと9万石、一方家衡は3万石しかありません。出羽の仙北三郡12万石を貰っても家衡15万石、清衡9万石で拮抗します。加えて奥六郡の年貢を纏めるのは清衡の役目ですから、実質的に奥六郡の主という事になるのです。
 調停に不満を抱いた家衡は館に戻り挙兵の準備を始めました。これを咎めた義家は、家衡を拘束し豊田館で軟禁するよう清衡に命じます。ところが家衡は素直に応じ自ら豊田館にやってきました。誰が見ても良からぬことを考えていることは一目瞭然です。一方、血を分けた兄弟でもありますので清衡の心の片隅に弟を信じる心もありました。
 二人の仲はいったいどうなるのでしょうか?次回骨肉の争いと後三年の役勃発を描きます。

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