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2019年3月26日 (火)

世界史上難攻不落の城、マサダの城塞

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 今回のマサダは知っている人が多いかもしれません。場所はイスラエル、死海の畔、西岸にある岩山です。死海から見ると標高400mもあります。ところが海抜0m。その理由は死海が海抜マイナス400mだからです。死海から地中海まで100㎞くらいしかありませんが、マサダのある山塊からみると、一度西側に大きく切れ込み、そこから緩やかに上って海抜をちょっと超えまた緩やかに下って地中海に至っています。

 マサダはローマ帝国に対するユダヤ民族抵抗の象徴でした。もともとユダヤはヘロデ王が時のローマの権力者にうまく取り入り保護国となっていました。ところがヘロデ王の死後、紆余曲折があって属州となります。ローマ人は、属州に対してもそこまで過酷な統治はしなかったのですが、ユダヤ教を信奉するユダヤ人にとっては多神教のローマの支配は我慢がならなかったのでしょう。

 反乱のきっかけは、ローマ総督がエルサレムのインフラ整備のためにユダヤ神殿から宝物を持ち出したことだとも、ローマ人によるユダヤ人殺害事件だったとも言われますが、おそらくこれらの原因が重なった結果なのでしょう。紀元68年から紀元73年まで続いた反乱を世界史ではユダヤ戦争と呼びます。当時のローマ帝国は地中海世界最強の軍隊、まともにぶつかってユダヤが勝てるはずはありません。70年、首都エルサレムは激しい攻囲戦の末陥落。生き残った反乱軍は最後の砦として死海の畔マサダの要塞に立て籠りました。

 周囲は断崖絶壁。頂上に至る道は蛇の道と呼ばれる細長い登山道一本。一見して難攻不落だと分かります。さすがのローマ軍もこれを攻めあぐみました。マサダはヘブライ語で要塞の意味ですが、ヘロデ王が築いた城でした。反乱軍の兵力は1000人弱。囲むローマ軍は1万5千ですから2個軍団と支援部隊というところでしょうか。世界史上でも一二を争うほど土木技術に長けたローマ軍は、マサダの崖を埋め立て突入路を開く作戦に出ました。ただ難工事でしたので3年もかかったそうです。

 ローマ軍の工事が間もなく完成しそうだと分かると反乱軍は絶望します。10人ずつ別れ籤で1人を選びました。その1人が残り9人を殺すという集団自決でした。生きて奴隷になるよりは潔く死のうという覚悟です。そして生き残った者は、ローマ軍に突撃し全員戦死しました。ローマ軍がマサダに突入したとき、まだまだ何か月も戦えるほどの食糧と水があったそうです。マサダに立て籠った反乱軍のうち、生き残ったのは隠れていた2人の女性と5人の子供たちだけだったと伝えられます。

 現在マサダは、イスラエル軍の入隊式が行われているそうです。まさにユダヤ民族の誇りと覚悟なのでしょう。

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