スペイン内戦におけるコンドル軍団
最近ドイツ空軍の戦史にはまってます(笑)。コンドル軍団とはスペイン内戦(1936年~1939年)においてナチスドイツがフランコ軍を支援するために派遣した遠征軍です。これとは別にフォン・トーマ陸軍大佐(WW2では装甲兵大将・ドイツアフリカ軍団長などを歴任)率いる少数の機甲部隊もいました。
イタリアが、同じ全体主義者(反対派はファシスト呼ばわりするが、これは言いすぎ)のフランコ将軍を援けるために派遣した大規模な遠征軍(黒シャツ隊など4個師団を基幹とする陸軍と海空軍)と違い少数精鋭でしたが、それでも150機近い空軍部隊を有していました。
コンドル軍団と言うと最新鋭機で固められた精鋭部隊というイメージがありますが、派遣当初は旧式の複葉戦闘機He51や、のちには低性能が露呈し爆撃任務に使えず輸送機になったJu52爆撃機などが主力でした。
ところが共和国政府(こちらも後年のイメージでは共産党政権のイメージがありますが実態は右派以外のすべての政党が結集した連立政権。ただし最終的には共産党が主導権を握る)に、ソ連がポリカルポフI‐15、I‐16戦闘機を主力とする義勇軍を派遣すると苦戦し、当時ようやく主力戦闘機として採用されたばかりのメッサーシュミットMe109(Bf109ともいう)を急遽投入して制空権を奪回したというのが実態でした。
このスペイン内戦は後の第2次世界大戦における兵器の実験場という側面もあり、Me109やユンカースJu87スツーカ急降下爆撃機はこれが初陣でした。
Me109やJu87がソ連機と比べてあまりにも高性能だったためドイツ空軍は急降下爆撃や近接航空支援戦術を過信し、それとは性格の異なる戦略空軍であるアメリカとの戦いでは逆に苦戦することになります。
ドイツ軍にとって、近接航空支援を地上部隊の侵攻と組み合わせた電撃戦はスペイン内戦で確立したと言ってもよいでしょう。ただし急降下爆撃機スツーカの成功によってドイツ空軍内の戦略空軍論者は発言力を失い戦術空軍に特化したのは失敗でした。
ドイツもイタリアもソ連も義勇軍と称し多くのパイロットをスペインに送り込みました。武器援助も莫大で、ソ連だけでスペイン共和国政府軍に1000機以上も供給しています。
スペイン内戦に関しては以前記事に書いたので詳しくは述べませんが、ナショナリストのフランコ軍が勝利し、ソ連の支援する共和国軍が負けたのは、英米が共和国政府をソ連の傀儡と見て援助をしなかったばかりか、独伊のフランコ軍支援に見て見ぬふりをしたからだと思います。
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