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2019年3月 9日 (土)

商人の語源

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 一般に交易を生業とする人を商人(しょうにん)と呼びます。実はこの語源には悲しい話があり、本来は「しょうじん」と言いました。

 

 舞台は紀元前11世紀の支那大陸。日本では一般に殷王朝と呼ばれますが、当時支那大陸の中原(黄河中流域)を中心に周辺地域を支配していた商という王朝がありました。殷とは商王朝最後の都の名前で現在の殷墟の遺跡がそうだと言われます。殷という名は、これを滅ぼした周王朝が呼んでいた名前です。

 

 さてその商王朝は最後の王帝辛(日本では紂王の名前で有名)の時代に、現在の陝西省渭水流域に興った周の武王に牧野の戦いで敗北し滅亡しました。といってもその後の占領政策から商の遺民の不満を宥めるため、武王は帝辛の異母兄で賢人と名高かかった微子啓を召し出し宋の地に封じます。爵位も最高位の公爵を授けました。ですが、狭い宋の地だけで商の遺民を収容できるはずがありません。多くの者が周が封じた諸侯に追い出され流浪の民となります。

 

 土地を持たない彼らは、農業ができるはずもなく生産地で物資を仕入れ需要のある所に持っていって売るという交易業に携わります。ここから商の遺民が携わる仕事という事で商業、交易をする者たちを商人(しょうじん)と呼ぶようになりました。日本でこの「しょうじん」がなまって「しょうにん」となったと言われます。

 

 

 もう一つ、「あきんど」という言い方もありますよね。これは日本独特の表現らしく秋の収穫物を地方で仕入れて町に持ってきて売ることから秋に来る人という意味で「あきんど」と呼ばれその業務を「あきない」というようになったとか。

 

 

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