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2019年3月11日 (月)

マヤ文明って平和なイメージあったけど現実は違ってましたな

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【考古学】古代マヤ文明の要塞を発見、従来のイメージ覆す 意外な発見、「戦争は生活の一部だった」

 私の勝手なイメージですが、マヤ文明はメキシコ、ユカタン半島に興った都市国家群が形成した文明で農業生産力は高くなく主に交易で栄えたというものでした。鉄器が行き渡らないアメリカ大陸にあったため農機具も発達せず、疫病が流行って滅亡したと思っていました。ところがこの記事によると戦争が日常茶飯事だったみたいですね。マヤにしてもアステカにしてもインカにしても戦争は殺し合いではなく神に捧げる生贄を集めるためのものだと勝手に考えていました。
 
 マヤ文明に対するイメージがずいぶん変わりましたよ。高さ6メートルの城壁、投石機に使う丸い石、随分生々しいです。鉄器がなかったのは大西洋で旧大陸と隔たれていたからで、もし鉄器があったらもっと凄惨な歴史になっていた可能性があります。ただその場合はより武闘民族になっていたはずですから、スペイン人の征服も失敗するかより多くの犠牲を出したでしょう。
 
 日本が戦国時代に西洋列強の植民地にならなかったのは、まさに武闘民族だったからですから。1万や2万くらいの遠征軍を送っても皆殺しに遭うだけだと西洋諸国が悟ったから植民地化を免れたのです。その意味では、自らの国を守る気概を失ってはいけないという教訓ですね。そして国防のための軍事力整備も重要です。
 
 
 
 
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