2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« 中東戦争航空戦Ⅰ    6日間戦争 | トップページ | 中東戦争航空戦Ⅲ    ヨム・キプールからレバノン侵攻(1982年)まで »

2019年3月 2日 (土)

中東戦争航空戦Ⅱ    ヨム・キプール戦争

 ヨム・キプール戦争とは日本で言うところの第4次中東戦争(1973年10月6日~10月26日)の事。アラブ側がユダヤ教の神聖な休日である贖罪の日(ヨム・キプール)に奇襲攻撃を掛けたのでこの名前が付きました。
 
 
 第3次中東戦争とその後の消耗戦争においてアラブ側はイスラエル空軍に大きな被害を受けました。このままでは中東における自国の牙城が崩れる事を恐れたソ連はアラブ諸国により一層の大規模軍事援助を与えます。
 
 
 主力のMiG-21はもちろんSu-7攻撃機、IL‐2軽爆撃機、さらには新鋭のMiG‐25さえ少数ながら与えました。これによってエジプト空軍は620機、シリア空軍は310機と再び大規模な航空兵力を整えます。さらにソ連はイスラエル空軍機に対抗するためにSA-2、SA-3、SA-6などの各種地対空ミサイル、ZSU-23‐4自走対空機関砲とそれを統制するレーダーをセットでアラブ側に送り込みます。その操作習熟のためにソ連軍事顧問団が実に1万5千人もアラブ入りしました。
 
 一方、石油を盾に脅されたフランスはイスラエルに対する兵器売却を控えるようになります。さらにフランスはイスラエルに対する兵器禁輸さえ決定しました。困ったイスラエルでしたが、中東におけるソ連の勢力拡大を好まないアメリカが軍事援助に乗り出します。
 
 イスラエル空軍は、新たにF-4EファントムⅡ戦闘爆撃機やA-4スカイホーク攻撃機など信頼性の高いアメリカ製航空機を導入していきます。加えてミラージュ5を基に独自にネシェル戦闘機を開発するなどこちらも着々と軍備を進めました。
 
 戦争開始時、イスラエル空軍はF-4E127機、A-4各型162機、ミラージュⅢCJ35機、ネシェル40機など合計550機保有していました。
 
 
 当時の新鋭機を集めたイスラエル空軍は、自軍のパイロットの技量に絶対の自信があった事も加えてアラブ側を侮る空気がたしかにありました。これは地上軍にも言えるのですが、第3次があまりにも鮮やかな勝利で終わったため慢心していたのでしょう。
 
 
 ですからイスラエル諜報機関モサドから「アラブ側に戦争の兆候がある」と報告されても国家のトップは信じなかったそうです。まもなくその慢心は手痛いしっぺ返しを食らいます。
 
 
 贖罪の日を狙ったアラブの開戦奇襲はシナイ半島とゴラン高原で同時に開始されました。油断していたイスラエル軍は大混乱に陥ります。空軍は直ちに発進しイスラエル領土(占領地)に入ったアラブ軍を叩こうとします。ところがアラブ側はこれに戦闘機で対抗せず、周到に準備されたソ連式防空コンプレックスで対抗しました。
 
 戦争初日でイスラエル空軍は30機以上の攻撃機を失うという痛手を受けます。戦争を通じたイスラエル空軍機の損失数は115機。数において劣勢のイスラエルにとってこの損害は耐えがたいものでした。
 
 しかし戦争が進むにつれ地対空ミサイルのカバーがないところではやはりイスラエル空軍の技量が勝りました。地対空ミサイルとて無限ではありません。アラブ側がそれを撃ち尽くすとイスラエル空軍の反撃が始まりました。結局戦争を通じてイスラエル軍は451機のアラブ側空軍機を撃墜します。これは空中戦だけではなくアメリカ製のホーク地対空ミサイルが大きな役割を果たしました。
 
 慌てたソ連は、アラブ側の損害を補填するため輸送船団を送り込み戦闘機や武器弾薬を補充しました。これを見ていたアメリカもイスラエルに緊急軍事援助を与えます。F-4EファントムⅡ48機、A-4スカイホーク80機以上、C-130輸送機12機、莫大な武器弾薬、さらには大量のAIM-9サイドワインダー空対空ミサイル、シュライク対レーダーミサイル、ウォールアイ滑空爆弾、マーべリック空対地ミサイル、各種電子戦ポッドなどの高性能兵器も援助物資に含まれていました。
 
 これにはソ連とアメリカの補給力の勝負という一面もあったのです。そしてアメリカは勝ちました。空中でも地上でもイスラエル軍は緒戦の混乱から立ち直りむしろアラブ側を押し返す勢いでした。
 
 
 結局アラブ側はこれ以上戦争を続けても損害が増えるばかりで得るものはないと悟ります。ソ連はアメリカのキッシンジャー国務長官をモスクワに招いて停戦の条件を話し合いました。アラブ側はもちろん、多大な損害を受けていたイスラエルも停戦条件を受託、戦争は終わります。
 
 
 第3次中東戦争当時、空体空ミサイルの信頼性はそれほど高くなく機関砲による撃墜数がまだ上回っていましたが、このころになると空戦の主役はサイドワインダーやスパローなど空対空ミサイルに完全にとって代わられていました。
 
 また地上攻撃も、アメリカ製の対レーダーミサイル、レーザー誘導爆弾など新兵器が中東地域に登場してくるようになります。
 
 
 結果論ですが、イスラエル空軍の装備がフランス系からアメリカ系に代わったのは近代戦に適応するためには大成功だったと言えるかもしれません。遮蔽物の少ない中東の地上戦、そして常に晴天が続くアラブの空はアメリカ製近代兵器が最も実力を発揮できる戦場でしたから。
 
 
 以後、アメリカ製兵器で固めたイスラエル空軍優位の状況は現在でも続いています。エジプトがイスラエルと講和した後急速にアメリカに接近しF‐16などアメリカ製戦闘機を導入し始めたのもヨム・キプール戦争の苦い教訓があったからでしょう。

« 中東戦争航空戦Ⅰ    6日間戦争 | トップページ | 中東戦争航空戦Ⅲ    ヨム・キプールからレバノン侵攻(1982年)まで »

 軍事」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 中東戦争航空戦Ⅱ    ヨム・キプール戦争:

« 中東戦争航空戦Ⅰ    6日間戦争 | トップページ | 中東戦争航空戦Ⅲ    ヨム・キプールからレバノン侵攻(1982年)まで »