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ランチェスターの法則とは、イギリスのエンジニア、フレデリック・ランチェスターが1914年に発表した数理モデルです。戦争における兵士の損耗に関する法則で剣や槍、弓などの古典的な戦闘に関する第一法則、小銃や大砲などが登場して以降の近代戦に関する第二法則があります。マーケティング理論にも応用されているので名前くらいは聞いたことがある人も多いでしょう。
第一法則では、戦力は兵士数×兵器性能で表されます。ですから、両軍が同じ兵器性能なら数の差がそのまま表れます。簡単な例を挙げると1000人の部隊と600人の部隊が戦った場合、600人の部隊が全滅した時、勝者は1000-600で400人生き残っている計算になります。
第二法則ではやや計算が複雑になります。近代戦では不確定要素が増えてある程度ランダムな事象が発生するからです。ここでは戦力は兵士数の二乗に比例します。計算式は戦力=兵士数×兵士数×兵器性能です。分かりやすい例を挙げると、ほぼ同じ性能の軍艦同士が撃ち合った場合10隻と6隻の戦闘結果は(10×10)-(6×6)=64となります。ルート64は8なので、6隻の軍が全滅した時勝者は8隻も生き残っていることになるのです。
ランチェスターの法則は、戦争において数が多い方が圧倒的に有利だという事を証明しました。しかし古今東西の戦例を見ると必ずしも数が多い方が勝ったケースばかりではありません。どういうことかというと、全体的に数が劣っていても兵器性能が圧倒的に優れている場合、あるいは局所的に敵より上回る兵力を集め、敵に分散を強いて重要な局面で敵を叩くことができれば、劣勢な側でも勝利を得ることができるのです。兵学上ではこれを決勝点と呼びます。ですから、名将はあらゆる手段で敵軍に兵力分散を起こさせ、決勝点となる戦場で局所優勢を現出するのです。
これを冬戦争で考えると、総兵力24万人のフィンランド軍と総兵力100万人以上のソ連軍がまともに正面からぶつかればランチェスターの第二法則で計算した場合、フィンランド軍が全滅した時ソ連軍は97万人生き残る結果になります。ところが現実は、フィンランド軍の戦死者2万5千人に対しソ連軍は12万7千人という恐るべき戦死行方不明者を出しています。
これはフィンランド軍がモッティ戦術を駆使したからです。モッティとはフィンランド語で『包囲』のこと。森林と沼沢の多いフィンランドの国土を有効に使い、ソ連軍を翻弄しました。1939年11月30日ソ連軍がフィンランドに侵略した時点では、冬季とはいえ凍結しておらず泥濘だったそうです。まず初期段階でソ連軍の機械化部隊はこれにより進軍スピードが遅くなります。年が明けると一転して猛吹雪が襲い掛かり地面は凍結、厳しいフィンランドの冬になりました。弱小のフィンランド軍を舐めてろくな冬季装備も準備していなかったソ連軍は各所で分断され孤立します。
フィンランド軍はスキーを用意し孤立したソ連軍部隊を各個撃破、ソ連軍の生命線である補給路を叩きました。おそらくソ連軍は詳しいフィンランドの軍用地図も無かったように思えます。一方、地形を熟知しているフィンランド軍は、逆に猛吹雪を隠れ蓑にして移動できました。最終的に負けはしたものの、フィンランド軍が予想以上に大善戦したのはモッティ戦術のおかげです。1938年の赤軍大粛清でソ連側に碌な指揮官がいなかったことも理由の一つでしょう。硬直したソ連の軍事ドクトリンは応用ができない指揮官では使い物にならないのです。ソ連軍の兵士自身も「なぜ関係のないフィンランドを攻めないといけないのか?」と疑問を持ち士気も低かったのではないかと想像できます。
冬戦争でのソ連軍の醜態を見てドイツのヒトラー総統は「ソ連軍弱し」と侮りの気持ちを抱いたと言われます。これが独ソ開戦に繋がるのですから歴史は分かりませんね。冬戦争の後、フィンランド第二の都市ヴィープリ(現ヴィボルグ)を含む領土を奪われたフィンランドは最初隣国スウェーデンとの同盟を目指したそうです。ところがこれはソ連とドイツの妨害で失敗。独ソ戦が始まると、なし崩し的にドイツとの同盟を強要され参戦させられます。そして敗北。
戦後冷戦期にはフィンランド化と揶揄されるほどソ連の影響下に置かれますが、それでも自由主義陣営に留まったのは弱小国とは言え気概があったのでしょう。フィンランド人の国を守る覚悟、我々日本人も見習いたいですね。
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