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2019年9月 6日 (金)

兀突骨(ごつとつこつ)と藤甲鎧

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 最近、YOUTUBEで亶夏王朝さんの三国志珍人物伝にハマっています。取り上げる人物がマニアックすぎるんですよ。劉備の養子劉封に関しても劉備の実子説、劉封の実家寇氏の光武帝後裔説、劉禅を奉じる荊州派と劉封を支持する益州派(そのリーダーは法正)で両派の後継者を巡る暗闘の犠牲者が劉封だったという考察など、マニア心をくすぐる素晴らしい動画です。三国志に興味のある方は是非ご覧ください(笑)。

 それはそうと、三国志珍人物伝の第9回で兀突骨(ごつとつこつ)を取り上げていました。この人選はちょっと驚きました。三国志の大ファンの方ならご存知でしょうが、ちょっとかじったくらいの人だとチンプンカンプンだと思うんですよ。知らない人のために一応紹介すると、時代は蜀の劉備が白帝城で崩御した後。後事を託された諸葛亮は、先君劉備の期待に応えるため宿敵魏を討つために準備に入ります。そこへ起こった南蛮(現在の雲南省から貴州省にかけて)王孟獲の反乱。

 諸葛亮は後顧の憂いを断つため、そして南蛮地域を北伐の補給基地、南蛮を通じて東南アジアやインドへの交易ルートを確立するために自ら遠征しました。有名な七縱七禽のエピソードはこの時の事です。異民族南蛮人(現在のタイ族の先祖と思われる)を力で圧殺するのではなく、徳をもって帰服させる道を諸葛亮は採りました。

 南蛮王孟獲はしぶとく抵抗を続け、ついには現在のラオスかベトナム北部の山岳地帯にあったと思われる烏戈国(うかこく)の王兀突骨(ごつとつこつ)に援軍を要請します。兀突骨は快くこれに応じ3万の兵を率いて参上しました。兀突骨自身も2メートルを超える巨漢でしたが、恐ろしいのは烏戈国の兵士がまとう藤甲鎧。藤の蔓を油に何回もつけて作った鎧で、軽くて水に浮くにもかかわらず刀も矢も通さないほど頑丈。さしもの蜀軍も攻めあぐみます。

 諸葛亮は策をもって藤甲軍を狭い谷に誘い出し、火薬で焼殺することでかろうじて勝利しました。これで孟獲はついに諦め諸葛亮に降伏したのですが、援軍に来ただけなのに焼き殺された兀突骨と藤甲軍の兵士はたまったものではありません。孟獲の心を攻めるのなら、兀突骨も同じようにしてくれよとはちょっと思いました(笑)。まあただの物語なんでどうでも良いんですけどね。

 前置きが非常に長くなりましたが、兀突骨や烏戈国は架空の存在でも、藤甲鎧は実在したようなんですよ。貴州省の少数民族の中にその技術が残っていると知って驚きました。三国志演義は正史三国志と違って説三分(7割は嘘)と言われますが、藤甲鎧はあったんですね。そういえば日本にもここまでの鎧はなかったとしても似たような植物の蔓でできた鎧があったような気がします。

 もしかしたら、雲南を含む華南一帯に広く分布した鎧なのかもしれません。金属器普及前、石器で武器を作っていた時代なら頑丈な蔓の鎧は有効だったはずだからです。この地域は稲作発祥の地ですから、日本へも稲作の伝播と共に渡ったのかもしれませんね。皆さんはいかが思われますか?

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