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2019年9月13日 (金)

漢代の貨幣と官僚の俸給

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 古代支那春秋戦国時代の貨幣と言えば、斉・燕・越などで使われた刀銭、楚で使われた蟻鼻銭、秦で使われた圜銭(かんせん)があります。圜銭とは円形の貨幣の中心に丸あるいは四角の穴をあけた貨幣でのちの支那王朝が鋳造した貨幣の基本形となりました。刀銭も穴が開いており、どうして穴をあけるかというと紐で結んで一括りにするためです。日本でも一文銭を紐で千枚繋げて一貫文にしましたよね。

 当然、当時は政府に信用がありませんから金属そのものの価値が貨幣の価値になる秤量貨幣でした。これがのちに政府の金保有量で貨幣や紙幣の価値を保証する金本位制になり、現在では政府の信用で紙幣貨幣の価値を保証する信用貨幣になっていきます。

 前漢武帝の時代、度量衡の五銖(ごしゅ 1銖は0.59g)の重さを基本とする五銖銭が鋳造されました。武帝の時代は前後漢を通じて最も栄えた時代だったこともあり、この五銖銭が基本貨幣となり三国時代、南北朝時代、隋代まで使用されます。歴代王朝は独自の貨幣を鋳造しようとしましたが、政府の信用がないこともありほとんど失敗します。三国の一つ蜀では、五銖銭100枚の価値を持つ「直百五銖」を発行しますが、実際は五銖銭二~三枚分の重量しかなく、蜀の経済は大混乱します。蜀に経済に強い官僚がいなかったのでしょうが、この経済的疲弊が蜀滅亡を早めたとも言われます。

 ところで、漢代の官僚の俸給は穀物と銭で支払われました。この割合に関しては諸説あり半々という説もあれば時の政府の都合によって割合が変わったという話もあります。もっとも高い俸給は三公クラスが貰う万石でした。正式には石ではなく斛(こく)の字を使うのですが紛らわしいので石で統一します。これは月俸350石、年俸で言うと4200石にあたりました。次いで九卿クラスの中二千石(月俸180石)、執金吾、郡太守クラスの二千石(月俸120石)、中郎将、校尉の比二千石(月俸100石)というように十等級に分けられていたそうです。これを秩石制と呼びます。

 支給される穀物も、日本のように米だけではなくおそらく麦が主流で稗、粟などの五穀だったと思われます。東晋から始まる南北朝の南朝だけは米の一大産地を抱えているだけに米が支給されたはず。支那大陸は南船北馬と言って淮河を境に麦作地帯と米作地帯が分かれるからです。全然関係ない話ですが、東洋史学者岩村忍先生の『アフガニスタン紀行』によると、現在のパキスタンからアフガニスタン東南部にかけての米麦作の境界近くでは豪族や富裕層は米を食べ、一般民衆は麦を食べたそうです。やはり米の方が美味しいんでしょうかね?支那の高級官僚もわざわざ江南地方から米を取り寄せて食べていたのかもしれませんね。

 ところで当時の麦はどのように食べていたのでしょうか?麺にしていたのか、それとも焼餅みたいにして食べていたのか?非常に興味があります。米みたいに炊いてもあまり美味しくないし…。日本で麦飯というと戦時中の貧しい食べ物というイメージですからね(苦笑)。

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