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2019年10月20日 (日)

プント国

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 世界史マニアック話が続きますが、これも紅海・インド洋交易関連話です。一般の方は全く興味ないと思うのでスルー推奨です。

 世界地図やグーグルマップを見ていただくと分かる通り、エジプトは国土のほとんどを砂漠が占めます。ただ世界有数のナイル河の流域だけは緑が広がり、地中海に注ぐ河口域所謂ナイルデルタ地帯は豊かな農耕地帯になっています。この地域に人類が住み始めたのは1万年以上前だとも言われますが、シリア発祥の小麦栽培を通じて大人口を形成、紀元前4200年ころにはエジプトの原始王朝が始まったと言われます。

 文明の条件は効率的な食糧生産、大人口、金属器だそうですが、エジプトは金属を精錬するための木材も不足がちで国内で賄えなかったため早くから海外交易が盛んでした。地中海沿岸のレバノン杉もそうですが、紅海を使って南方諸国とも交易を行いました。その中の一つにプント国というものがあります。古代文明に詳しい方なら聞いたことくらいはあるでしょう。その比定地には諸説ありアラビア半島南西部イエメン地域にあったという説もあれば紅海に面したスーダン沿岸部、さらに下ってエリトリア、ジブチ、ソマリア沿岸部など様々な説があります。

 ただ、エジプトがプント国から輸入した交易品は金、香料、黒檀(こくたん、家具や弦楽器に使用されるカキノキ科カキノキ属の熱帯性常緑高木数種の総称。エボニーとも呼ばれる)、象牙、野生動物、奴隷などがあり、イエメンやアラビア半島では産しないものもあったため、現在ではイエメン説は否定されています。紀元前26世紀エジプト第4王朝クフ王の時代、プント王から黄金がもたらされたという記録もあり、かなり早くから紅海貿易が行われていたことが分かります。

 古代スーダンにはメロエを中心とするクシュ王国が存在し一時はエジプトを占領するくらいの強勢でしたが、ここの特産も黄金でした。そこから類推するとスーダン沿岸からエリトリア沿岸にプント国はあったと私は思います。ただその支配民族はクシュが黒人種であったのに対し、イエメン同様セム語族だったのでしょう。黒人種の国であったとすると同族である黒人種の奴隷は輸出しにくいからです。もっとも周辺の黒人種の国と戦争して獲得した捕虜を奴隷として輸出した可能性もありますが。

 私がプント国の支配民族がセム語族だったのではないかと推定する理由の一つとして、後にイエメンにあったとされるシバの女王と伝説のイスラエル、ソロモン王の子と称するメネリク1世がエリトリアとエチオピアの地にアクスム王国を建てているからです。ちなみに後のエチオピア王国ソロモン朝はこのメネリク1世の子孫だと言われます。

 紅海の南の出口であるバブ・エル・マンデブ海峡は30㎞と狭くイエメンからジブチに古代の航海術でも容易に渡れます。紅海を船で行き来できた民族なら尚更です。もしかしたらプント王国はジブチ、エリトリアとイエメン地域を含んだ海峡国家だったかもしれませんね。そのプント国との交易もエジプト第20王朝(紀元前1185年頃~紀元前1070年頃)の時代、突然途絶えます。

 私はこの時期に、ナイル河中流域に栄えたクシュ王国からの侵略があったのではないかと考えています。エジプトとクシュは互いに支配したり支配されたりの関係で、紀元前11世紀まではエジプト王国がクシュを植民地支配していました。しかしエジプトで内乱が起こり衰退するとクシュ王国は独立を勝ち取りピイ王の時代逆にエジプトに攻め込んで征服、第25王朝(紀元前747年~紀元前656年)を開いたほどでした。クシュによるエジプト支配が終わったのは、紀元前671年世界帝国アッシリアがエジプトに攻め込んだからです。ただこの時はエジプトから撤退したのみで、クシュ王国は紀元後ローマ帝国のネロ帝時代も存続していたそうですから驚かされます。クシュ王国が完全に滅んだのは600年頃で支配民族の反乱が原因だそうです。

 プント国とクシュ王国の関係には非常に興味があります。クシュ王国はメロエ語、メロエ文字を持ちエジプト文明に影響を受けたピラミッド群を建設するほど栄えた文明でしたが、プントから学んだものもあったかもしれません。そしてプントの後を受け紅海貿易を担ったとすると、この地域の歴史はもっと掘り下げるべきかもしれませんね。

 

 

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