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2020年2月 6日 (木)

濃姫のその後

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 濃姫と言えば織田信長の正室、斎藤道三の娘です。信長の父信秀と道三の和睦のために政略結婚で信長に嫁ぎました。小説やドラマでは帰蝶という名前ですが本名は伝わっていません。実は彼女、生没年が良く分かっていないのです。一応生誕は1534年となっており夫信長より1歳年下とされます。ただ没年に関しては諸説あり父道三が長良川で討死して間もなく病死したという説、美濃との同盟のメリットが無くなった信長に離縁され母の実家明智家に引き取られそこで死んだという説、本能寺まで同行し信長と一緒に討死したという説など様々なものがあります。

 これは濃姫が正室と言いながら信長との間に子供がいなかったことも大きかったと思います。秀吉の正室ねね(北政所、高台院)のように名前も晩年も分かっているケースが稀なのでしょう。信長の後継者である嫡男信忠、次男信雄、長女徳姫(家康の嫡男信康に嫁ぐ)を産んだのは生駒吉乃(きつの)で、側室でありながら信長に最も愛され正室的扱いを受けた女性でした。

 吉乃の父生駒家宗は尾張国丹羽郡の土豪で馬借を生業にしていたといいます。馬借とは現在の運送業者の事で東海地方や近畿まで商圏にしていたとすれば、盗賊に襲われないように武装し次第に武士団化していったのでしょう。このあたり川並衆の蜂須賀小六と似ていますね。生駒といえば美濃国可児郡出身の生駒親正を思い浮かべますが、生駒一族が尾張から美濃にかけて活躍していたとすれば納得できます。一応親正の父親重は吉乃の祖父に当たる豊政の養子になっているようなので一族として関係はあったみたいです。

 吉乃は信長の側室になる前一度結婚しています。その夫が戦死し実家生駒家に戻っていたところを、立ち寄った信長に見染められたと伝えられます。病弱で薄幸の美女のような印象ですが、私は大河ドラマ秀吉の斉藤慶子のイメージが強烈すぎて頭から離れません(笑)。史実では徳姫を産んだ時産後の肥立ちが悪く病死したといわれます。斉藤慶子なら殺しても死なないしぶとさがありますけどね(失礼!)。信長は実家生駒家で臥せっていた吉乃を小牧山城に呼び寄せようとしたものの、それが実現する前に彼女が亡くなって嘆いたとされますから、もしかしたらその時濃姫は死んでいたか、実家に帰されていた可能性が高いと私は見ています。

 吉乃が信長の正室扱いされていた証拠は、彼女の死後信長が実家生駒家に香華料660石を贈りその後も秀吉、家康から朱印状が与えられたことです。信長の子孫(信雄の子孫)である柏原織田家を招待して200回忌、300回忌まで行われました。

 濃姫の晩年として一番可能性が高いのは、利用価値がなくなったとして離縁され美濃明智城で一族と共に戦死したという説、あるいは吉乃が正室扱いされる前に病死したという説の二つでしょう。本能寺まで同行したというのは現実的にあり得ないと思います。大河ドラマファンには残念でしょうが…。信長にとって最愛の女性は生駒吉乃、濃姫は政略結婚以外の何物でもなかったという悲しい現実が見えてきます。ならばせめて小説やドラマの世界では信長と仲睦まじく過ごしてほしいですね。

 

 

 

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